「何のために生きている」
いきいき茨城ゆめ国体は、令和の時代にふさわしく若いスピードとベテランの粘りがレースを盛り上げた。
5位入賞を果たした椿浩平には、覚悟を決め、命を懸けて守ってきたものがあった。
脳腫瘍が見つかった3年前は「トライアスロンしかない、オリンピックに出るために必ず復帰する」と言っていた。
腫瘍を摘出し、放射線と抗がん剤治療が半年続く。
第2クールを終えた時、辛くて命を手放そうとした。
その時の心境をこう語る。
「あと数年の命でもいい。治療をやめて楽に過ごしたい。そう思っていました。あの時は、支えてくれていた家族や仲間の存在すら気がつかない無責任な自分でしたね」と・・・
椿は後に多くの人からの支えに気がつく。
自分の力って、ちょっとしかない。これまで、ずっと誰かの支えがあって生きてきた。
いや、生かされてきた。
癌になって失くしたものもあるが、得るものもあった。
日常の当たり前に感謝し、家族といるだけでとても幸せになった。
人を喜ばすことが、自分の人生をよくする。
自分のためだけに生きてしまうと、幸せを感じることができなくなる。
癌になって初めて知った。
「この道で生きる」と約束をしたとき、「全て自分で責任を取る」その覚悟を決めなければ、ただのワガママな生き方になる。そう思った。
覚悟は「何のため」があってこそ決まるのだ。
この「何のため」が人生に大きく影響してくると椿は言う。
ジュニア選手の指導をしていて思ったのは、子どもたちは時代に関係なく変わっていない。ということだ。
子どもは、時代が変わっても大人の教えたことに反応する素直な心を持っている。
変わったのは、大人が子どもに教える「価値観」だ。
やがて椿は、「生まれたばかりの息子のために死んでたまるか、願いが叶うとしたら、家族を笑顔にするために、もう一度、命が欲しい」
そう心で叫びながら今の自分を受け入れたのだ。
「今さえ、自分さえよければいい」という理由だけで大切なことを簡単に手放そうとする大人がいる。
手放す前にもう一度、考えてほしい。
何のために生きているのかを。
次の世代のために。
先頭集団で積極的に走る椿は背中で語っていた。
力の限り駆け抜けるその姿に沿道から大きな拍手が送られた。
浩平ありがとう。
(椿、古谷は共にブレイブジュニア卒業選手)
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2020TOKYOパラリンピック
視覚障害クラス、ガイドとして銅メダリストになった椿。
米岡と椿のフィニッシュシーンは記憶に新しい。
椿、古谷の二人は、2024年パリオリンピックにむけて
もうすでに走り出している。
心よせて
八尾彰一拝