ここに書き込むときは、たいがい自分の状況がよろしくないときである。

 

<締め切りの悪夢>

 ここ数日、仕事の夢の見て目が覚める。出版社、ホテルの宴会担当、そして今の職場、それらの仕事の夢が、独立して、または複合して夢の中の自分を追い詰めるのである。これもワーカーホリックとしてカウントされるのだろうか?

 

<緊急事態の中でも不要不急の仕事>

 都に緊急事態宣言がだされ、現在の勤め先でも週に一日二日出勤するだけの自宅待機シフトが組まれた。それはよいのだが、その緊急事態のさなかに、大口の仕事が入る。

 

 自分が勤める印刷会社は、ちょっと特殊で、いわゆる冠婚葬祭のペーパーアイテムの印刷をメインに手掛けており、婚礼などはともかく、葬祭関連はこの時期でも緊急の仕事が発生するのは致し方ない。

 

 ところが、ここのところ入ってきた仕事は、どう考えても限られた人員で、限られた時間内にこなさなくてもよい仕事。発注も緊急事態宣言中で、納期も同じ。これが医療関連など、急を要する事柄なら、力及ばずながらも頑張るぞ、となるのだが、同じコロナ禍関連でも、そのせいでこれこれの会が中止ですとか、社内事情のお知らせなどばかり。

 

<不要不急の外出は避けろ、テレワークを活用すべしと言うけれど>

 不要不急の外出は避けてくださいと、お達しが出ている中、不要不急の仕事の発注と受注はどうなのだとうか? 発注するほうも発注するほうだし、受注するほうもするほうだ。まぁ、仕事がコロナ禍の影響を受けて、会社存亡の危機に直面しており、感染リスクが高くなるのを承知で、印刷のため出勤せざるを得ない。

 

 印刷機を自宅に運び込むことなぞ噴飯もの、こちらから通勤電車で通わねばならぬ。ガラガラとはいえ、自分と同じようにテレワーク、リモートワークができない職種は少ない。互いに感染に注意しながら離れた席に座り、自分は皆さんどのような仕事を為されているかと思う。

 

 理不尽極まりない情勢だが、命を落とさぬ程度にがんばろう。

<朝日新聞勧誘員S氏の来訪>

 本日朝日新聞の勧誘員がやってきた。インターホンのモニターに姿を映さず、名乗りもせず。母は迂闊にも玄関の戸を開いてしまった。

 彼は、「読売新聞を取ってますね」と語りかけて、それでもなお朝日新聞の勧誘員であることは話そうとしない。

 応対に出た母は購読している読売新聞の勧誘員だと誤解したが、そこから叩みかけるように新聞の勧誘を始めた。

 我が家では長年読売新聞を購読している。彼は「読売新聞を購読している家を訪問している」と語った。そんな情報どこから引っ張り出した? 

 彼は言う「わたし宮城から来ているんです。家族も養わなくてはなりません」。

 ん? なぜ「朝日新聞は大変有益な情報を伝える新聞で・・・」というPRをしない?

 彼は続ける「読売さんよりも、ウチの洗剤の方がよいですよ」。彼は新聞を売り込みに来たのか、それとも洗剤を売り込みにきたのか? 

 

<我が家のプライバシーを探るも、自分のプライバシーの侵害を訴えるS氏>

 母が拒絶するもなおも食い下がるS氏。わたしは半ば身を隠し、なにかあれば対応するべく構えた。さらに、それとわかるようにスマホで彼を撮影した(何かすれば証拠はある、監視しているぞ、ということを訴えた行ないであった)。

 

 彼は「隠し撮りされた、プライバシーの侵害だ!」と激昂した。

 

 勝手にアパートの敷地に入り、なおかつ玄関にまで上がりこんできている。こちらは承知した覚えもないし、母もそのように言っていない。そのような人物を警戒して撮影することはプライバシーの侵害ではないし、ネット等で公開もしていないので、肖像権の侵害にもあたるまい。

 

 警察に連絡しようかとも思ったが、逆恨みをされても困る。

 しかたなく、スマホ片手に彼の前に出た。画像を消せと言われたので消した。それでもまだ「プレイバシーの侵害だ、訴えたらあなた負けますよ」という。データを消してしまったので、彼の顔を記憶に焼き付けるべく、瞬きもせずに見つめる。

 「謝罪してください」と言われて頭を下げたが、自分でも憤怒の表情が消せず謝罪の顔はして居なかった。その間も怒りが込み上げてしかたない。

 彼はさらに言う。「反省してないでしょ?」

 謝罪はするが反省までとはいかない。この世の中は物騒だ。インターホンのカメラに映らぬように訪問してくる相手を自分のカメラで撮る行ないを反省するつもりはない。反省点は「本当に隠し撮りすればよかった」という点だ。

 

 「撮影するなら堂々と出てきて取ればよいじゃないですか」と彼は言う。ふむ、その点は彼の言葉に理はあるが、撮影させてくれたかはわからない。モニターから姿を隠す相手を信じることはできない。

 

 

<おおよそセールスとは言い難い、新聞勧誘員の勧誘方法>

 彼の顔を見るうちに、まぁ、悪い人ではないと思えてきた。激昂したのも、撮影されたから、モニターから姿を隠したのも、景品だけ積みあげ、境遇の話をするのはマニュアル通りだったのだろう。真面目な人物かもしれない。宮城から出てきて必死に働いているのかもしれない。

 

 だが、根本的に彼はセールスの仕方を誤っている。

 

・モニターから姿を隠す、最初にどこの新聞社か名乗らない。(母が確認せずに応対したのが悔やまれる)

・売り込む商品である新聞のセールスポイントについて何も情報を持ち合わせず、ひたすら景品がお得だとしか言わない。

・引き際を心得ず、食い下がればなんとかなると強引に売り込む。

 

 こんな方法で買えと言われても、信用して買えるものだろうか? なぜそこがわからないのか? 彼は自分の家にそんな売り込みが来ても平気でいられるだろうか? 家に残した家族が心配ではないのか? 

 

 新聞勧誘員にはいろいろなタイプがいる。が、今まで出会った勧誘員で、誰一人として新聞を読むことの有用性、自分が売り込む新聞が他者とどう違うのか、そのことを話した者はいない。今だ旧態依然とした売り方である。

 

 こんなやりかたで、紙の新聞がいくら売れるというのか? 勧誘員は新聞社の社員ではない、よくても委託業者か、委託業社の従業員だ。だからちゃんとしたセールスの方法もわからず、昔ながらの強引な売り込み方法を受け継いで行なっているだけだろう。

 

 今回の件は販売所ではなく、朝日新聞に連絡した。朝日新聞に限らず、自社の委託相手がどんな人物で、どのように思われているのか、はっきりと把握していないだろう。これで「わが社の新聞は」などと社会正義を謳っても、ちゃんちゃらオカシイ。いや、オカシイというか、怖い。

 

<抱てしまった不安>

 今回の件で、訪問者に対して恐怖を感じている。母には必ずモニターで確認してから応対することを注意した。

 

 ともあれ、こんな売り方がいつまでも続くことはないし、先細りするだけだろう。

 

 ちなみに、我が家が読売を購読しているのは、父が巨人ファンというだけのこと。シンプルだが強い理由だ。わたしは書籍広告と訃報記事をメインに読む。仕事がらみだからだ。

 

 ともあれ、彼が二度と我が家を訪れたり、近所に来てほしくない。わたしは彼の本名をしらない(身分証明書を見せてもらったわけではない)。彼の家がどこにあるかも、個人的連絡先も家族構成もしらない。しかし、彼は我が家を知っている。母が老齢であることを知っている。

 

 不安だ。不安なので書き込んでおく。

 ノートの日記も滞りがちだが、アメブロもずいぶんと足が遠のいていた。facebookも登録しているが、こちらもあまり顔を出さないので、同窓会で生存を確認してもらえたような按配。相変わらず精神的に引きこもりがち。

 

 10~11月は1年後半の繁忙期で、心身ともに疲労気味。定時であがれたら、職場から一駅ほど歩いて、気分転換をするのだが、それもままならない。そろそろ都心も秋色が深くなってきたようで、金色の葉を散らす街路樹の下を歩くのも悪くないはず。

 

 この半年ぐらいのお気に入りは、代官山で蔦屋に寄って本に囲まれた時間を過ごす散策コース。旧山の手通りをひとつ奥に入って、広い敷地の大きな家並みを見るのも楽しい。昭和の御屋敷風から、外界を遮断するような現代建築風が混在しているのが自分にとって非現実的、夢の中の街を歩いているような気分になる。

 

 蔦屋では主にデザイン関係のコーナーをうろついている。文学系書籍は主にネットや駅に近い書店で購入するので、ここでは買うには高いデザイン集などを眺めるのである。それから料理関係。レシピ本というよりも海外の料理やスイーツを紹介する本がいい。食べ物を通して海外の文化に触れる、という感覚がよいのだ。

 

 店内にカフェもあるが、そこを利用したら時間がいくらあっても足りないようで、遠慮している。

 

今週も忙しいが、一日ぐらい歩きたい。自宅からは離れて、休日に行くのが億劫なのだが、職場からは徒歩40分ほど。杖を突きつつ、のんびり歩きたいものである。

明けましておめでとうございます

 

 仕事始めは5日かからで、明日が連休の最終日。なんだかギロチンの枷に頭と両手を突っ込んだような気分。仕事が忙しいのはよいが、どうにも人間関係は面倒で、胃が痛い。

 

 まぁ、そんなことは脇に置いて、『山怪』と実話系怪談についてアレコレ。

 

 昨年は『山怪』に端を発して、山の怪談ブームが起こり、本書の続編、そのほかずらずらと実話、創作本が出版された。

 『山怪』は、四半世紀マタギについて各地を取材していた著者が、マタギたちが語る「山の不思議な話」が早晩語り継がれることなく消えてしまうことに危惧を抱いて書にしたもの。各地で、昔語りを残そうという活動はあるものの、大々的に行われてはいないし、まとめられた話も地方出版社や大学の出版局から本の形で出されても、多くの人の目には入らない。しかし、そんな地方のマタギたちの語る怪談に注目が集まった。

 

 実話系怪談本がネットの怪談掲示板、怪談ライブ、怪談動画などとつながって、多くの読者層を得たものの、そうそう斬新な心霊現象が起きるわけなく、かといって劇的な書き方をすると「創作だ」と後ろ指を指される状況になってきた(生きている人間がすることだって、だいたい決まっているのだから、死んで化けて出ったって、そうそう変わりばえはしないだろう)。

 

 そんな状況の中で実話系怪談に食傷気味だった人々の目にとまったのがマタギが体験した山の奇妙な話をまとめた本書だったと思われる。

 本書を読めば、そこで語られることは、これまでの実話系怪談に比べて恐怖の度合いは低い。民話に出てくる狐や狸に化かされた話、山の遭難者の霊らしきものや神霊的な存在との遭遇、巨大な蛇、ツチノコ等、「素朴」な内容がほとんど。

 

 そのような話に、血みどろの幽霊や、一族全員が不可解な死を遂げる呪詛といった話を好む人が目を向けるのか、と思っていたのだが、本書を読んでみて気づいたのは、話の歯ごたえ、重みのようなものだ。多くの話が話者の住む場所、名前が記載されており、できる限り本人の話ままの言葉を書くことで、語られた話は実体験としての重みを持つようになる。これが歯ごたえだ。マタギが獲って語るのだからジビエ怪談といったところか。

 

 と、このあたりで疲れてしまったので、話はここまで。要約するとかつて京の都にいた貴族たちが、都とは別天地である野趣あふれる歌枕の地に趣を感じたように、都会の怪談ジャンキーは都会の怪談、都会人が地方で体験した怪談よりも、現地の人々の語りに趣を感じたのが山の怪談ブームの大きな要因なのであろう。

 

 ところで、実話「系」怪談だが、私は「系」の字を入れている。なぜなら、幽霊の目撃、呪詛の発現など、いくら実話と言われても実証の手立てが今は確立していないし、再現性も低い。もしかすると幻覚、妄想、集団ヒステリー、もっと大きな意味での集団幻想、都市伝説の類かもしれない。けれど、いちいちそれを批判、否定していったら、なにもかも残らない。現在客観的に調査、証明できないのなら、「実話」として受け取り、興がるのがよいのだと思っているからだ。そこで「実話」と断言できない、証明も不可能だが、「実話」として語られるものを「実話系怪談」として私は受け止めている。

 

 しかも自分は怖がるために読むのではなく、どこか醒めた目で、数々の実話系怪談を「奇妙な味わいの短篇、掌編小説」として読んでいるのである。だから、ずばり幽霊が出てきたり、個人の怨念が次々と復讐をするような因縁話よりも、ワケのわからぬ不条理で理屈の通らない話のほうが好みなのである。怪談師の方々からすれば、異端の者かもしれない。