長く生きてきて、時代がある瞬間からカチッと変わったことを感じたことがあります。

それは1995年と1997年に起こった事件から。

前者では「宗教」が人に対して牙を向くということを知り、後者では「こども」が殺意を持って実行に移すということでした。

このとき、漠然とああもういままでの日本ではなくなるんだなと感じたことを今でも覚えています。

 

 

 

昨年(2023)札幌で起こった事件も強烈に記憶されることになりました。

普通のご家庭に思えても、内部まではわかりません。

それは私のバイトする放課後デイの親御さんの家の場合でも、ときおり感じます。

家の中のことまではわからない。

 

 

 

札幌の事件のお母さんが描いたイラスト

下半身がウロコなので、たぶんアマビエかな?

 

 

 

札幌の事件の、おかあさんの初公判の記録が一部公開されていて、それを読んで驚愕した人も多かったのではないでしょうか。

 

 

 

 

 

淡々と箇条書きになっていますが、こんなことが一見裕福そうに見える、そして高学歴のおじさん、おばさんの家で行われていた・・

障害のある娘を溺愛していたからということだけでは、なんとも理解し難い。

 

 

 

 

 

 

上に書いたように、私は発達障害の子どもたちを支援する組織・放課後デイでバイトしています。

様々なご家庭のことを知る機会があります。

ほんとうにごく一部ですが、、、これはどうしたらいいだろう、と悩む場面もあります。

職員や私たちが、間違った方向に行かないように、根気よく支援します。それでもむずかしい場合もある。

 

ここから先は、もう医療の分野だね、と思うことも稀ですが、あるのです。

 

 

 

 

札幌の事件は、殺害された人がいわゆる悪人だったので、しかたないんじゃないか?的なムードが流れているように感じます。

それでも、なぜこんな事件が起きたのか、知りたい自分がいます。