昨年9月に東京に行ったとき、義弟の入院する病院(千葉)まで行き、お見舞いしたことは楽天ブログにちらっと書きました。

 

>要介護5になってしまった弟と話せてよかった

 

 

 

アヤべーは4人姉弟で、上から3番目。弟は末っ子です。

若い頃から糖尿でした。遺伝です。

しっかり治療すればよかったのですが、健康に留意しない生活というか、、、嫁さんも旦那に関心がないようで、大手通信業の営業の職を家族のためと淡々とこなしてきました。

私が9月に彼の顔を見に行ったのは、ドクターから年内に亡くなる可能性があるから、と知らされたからです。

 

 

 

そのときはまだ自分の状況は改善されるものと信じていた彼は、私に対して「びっくりしたなあ〜 誰が見舞いに来たかと思っちゃったよ。どーしたの?」と言うので、東京に来たついでにね、顔見たくなってさと答えました。

義弟は4月に入り亡くなりました。ガンも併発していました。

私はババの介護があるので葬式には行きませんでした。

借金だらけで(嫁の実家のこともあります)、家族葬も最低の金額でやったそうです。なんともはやな最後でした。

 

 

 

 

4月は訃報が続きます。

私の叔母が亡くなりました。市の老人保健施設に長いことお世話になりました。

所長さんにCさんはこの施設で最長の入所者だったんですよ、と聞かされました。

昔、楽天で書いていたことですが、このC叔母には大変な目に何度も遭わされました。

 

 

 

 

一番の思い出は、ある町の一軒家に住んでいたときのことです。

私が簡単な食事類を持って訪問したら、全裸で暮らしていました。

全裸にやかんひとつ持って、開け放した窓辺に突っ立っていたのです。

「なんだお前、どーした?」

どーしたじゃないだろ!! 何やってんだよ!

 

 

 

 

一軒家はいわゆるゴミ屋敷でした。どろどろ・・・

玄関は土間から天井まで脱いだ服でぎっちり。猫さえ通り抜けられない状態でした。

室内もゴミだらけ。一部、床さえ抜け落ちていました。^^;)

あんた、何食って生きてんのさ!と言うと

「粉溶いて、焼いて食ってる」←小麦粉の袋があった

 

 

 

 

犬猫を室内で飼っていたようで、畳も外の一部のように見えます。

結局、私とアヤベーでものすごい勢いでこの一軒家を片付け、膨大なゴミは資源会社に依頼して4トントラックいっぱい分、そこの会社のおじさんたち4人に片付けてもらいました。

一番大きかったのはテレビ。騙されて巨大なテレビを買わされていたのです。といっても使われていなくて、ほぼ遺跡状態。

床から剥がすのに3人がかりでした。手伝おうとする私に、おじさんは言いました。

 

旦那、旦那はやらなくていいから。腰こわすから

 

テレビを床からバリバリと剥がすと、見たこともない虫たちが何百匹もザワザワ出てきました。

いまでもアヤべーと話すことがあります。

あのすごい家、よく片付けられたよね。最後はバルサンがんがん焚いて、煙りもうもうだったよねー

C叔母にはお金もたくさん使いました。

そんなときは決まって叔母は言ったものです。

 

「いつか、バーンと返すから」

 

そのバーンもなく、満開の桜に見送られて往生しました。

持っていたアルバムには、私の知らない写真もたくさんあります。C叔母の妹二人に聞くと、写真はもう持って帰らない。みんな棺に入れてしまおうよと言うので、アルバムをバラしてC叔母のまわりに詰めました。

私はアルバムの中から一枚の小さな写真を選んで、それだけもらって帰りました。

 

 

 

 

C叔母が大好きだった早くに亡くなった姉が右にいます。

左はお母さん(つまり私のおばあちゃん)

立っているのは今回、姉を見送ることになったひとりの叔母。

 

 

 

 

 

 

左の男の子は右の叔母の長男ノリちゃん。

その叔母に抱かれているのは私ヤンパです。

 

今回亡くなった二人には「ヤンパの調子はどうなの?だいじょうぶなの?」と聞かれることも多かったのですが、末期がんの私はまたしても置いていかれることとなりました。