紙芝居「あの夏を忘れない」上演とそれまでのこと | ニュータウン裏山探検記

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やのみー探検隊が行く!
by Yanomii Tanken-Tai

 令和6年1月27日(土)、ついにその日が訪れた。

 この日の午前中は、安芸区の防災士のセミナーが開催されており、メンバーの大半がそこに参加していた。

 準備に集まったのは、ひろしま紙芝居村のABさんと、安芸南高校のKSくんとKHくんと私。一番、難儀な作業から片付ける。展示用パネルを1階のホールから3階の研修室まで運んで組み立てた。あとは机を畳んで、廊下に出し、展示物をパネルに貼り、紙芝居の準備をした。

 小学生が書いてくれた思い出は124点、そのうち公開の同意のあった87点をすべて展示した。

 広報した展示の開始時刻、正午になってもお客さんはほとんどなかったが。防災士セミナーに参加したメンバーも集まり、上演予定の午後1時半が近づくと、急に増えた。

 公民館だよりのほか、前日に中国新聞に紹介されたため、午後1時半からの紙芝居上演では、用意した椅子が足りなくなり、展示パネルを廊下に出して、座席を増やした。

 そして、本番。

 左から矢野町子ども会のKSさん、安芸南高校のKHくん、私、ABさん、矢野小学校PTAのOTさん、M隊員、安芸南高校のKSくん、安芸区PTAのTDさんの8人が演じ手。私はテーマソングまで歌った。

  紙芝居のストーリーは、あの夏のあの日、小学校1年生のヤノカと6年生のお兄ちゃんが大雨に恐怖し、翌日は町の変貌に驚く。自分にできることを考え、ボランティアに感謝。最後には、5年後の成長した二人の言葉がある。

 紙芝居のお披露目、8人の熱演に拍手が贈られた。

 上演の様子はテレビ新広島の取材を受け、当日夕方のニュースで放送された。

 

 ここに至る経緯をまとめてみた。

 

1 製作委員会の設立と資金準備

 

 このプロジェクトのきっかけは、令和4年(2022年)の11月に遡る。

 「あそぼーひろっぱ」のスタッフ用の電子掲示板に、紙芝居のABさんが「矢野地区の豪雨災害を紙芝居にして上演しませんか」と書き込んだ。これに呼応したのは、矢野小学校PTAの太田郁恵さんだった。「あれから5年、子どもが体験したことを記録に残したいと考えていた」と言う。

 相談を受けた私は、製作の主体となる団体が必要だと言った。有志で作ると、それだけで偏った印象を与える。12月、矢野の全部のPTAと子ども会で製作委員会を構成しようと話し合い、声掛けを行った。各団体の長からは即日、快諾をいただいた。

 委員会を作るのは、助成金を得るためにも必要なことであった。翌令和5年(2023)年1月、ちょうど、マツダ財団の助成金の募集期間、締め切りが迫っていた。

 矢野小・矢野西小・矢野南小・矢野中PTA、矢野町・矢野南子ども会、ひろしま紙芝居村の7団体が構成団体となる。団体長に集まってもらい、設立会合を開いて委員会を設立し、規約をつけて助成金申請を行った。

 3月には助成金事業として採択の通知があり、4月には贈呈式にOT委員長が出席した。

 

2 小学生の思い出の募集

 

 個人ならともかく、公的な団体が、あの災害をどう表現するかは難しい問題である。委員会を設立した直後、私がたたき台として、あらすじを書いてみた。ファンタジー的な創作であったため、疑問視する声が多く上がった。助成金の申請書に記したプロジェクト名は「子どもたちと作る豪雨災害の紙芝居」である。「子どもたちの思い出」を見てから考えることにした。

 各小学校PTAから学校に協力を依頼し、矢野小は7月6日、矢野西小は夏休み、矢野南小は9月に、6年生を対象に「思い出募集」のプリントを配ってもらった。

5年後というのは遅すぎる感もなくはなかったが、1年生の幼い記憶が残り、表現を身に付けた6年生に書いてもらったことには意味があったように思う。

 その結果、124点もの思い出が集まった。正直なところ、子どもたちがこれほど一生懸命に書いてくれるとは思っていなかった。募集用紙の小さな枠の中に、絵や字や文章の上手下手を問わず、心を込めてぶつけてくれたものと感じた。雨や警報の音、変な臭い、土砂に埋まった小学校や町の風景が幼い心に記憶されている。恐怖の思い出が去来した子もあったであろう。このプロジェクトの主役である。 これを読んで、ストーリーを生成することにした。

 

3 中学生・高校生の協力

 

 

 小学生への思い出募集と並行して、矢野中PTAから中学校を通じて美術部の生徒には、紙芝居に必要となるであろう場面を水彩で描いてもらった。数十枚の災害写真を渡すと、平和な風景、道路に溢れた川の土砂、動けなくなった自動車、埋まった学校のグラウンド、土砂の掻き出し、ボランティア、避難所など必要となるであろう場面を、手分けして描き、夏休みをはさんで9枚の絵が届いた。紙芝居の要所をしっかりした絵で支えてくれている。

 また、近隣の高校にもメールをして協力をお願いした。ほぼ全校で思い出募集のプリントを配布してくれた。

 そのうち、矢野町内にある安芸南高校からは「もっと積極的に関わらせていただけないか」というお返事をいただいた。授業の科目である「総合的な探求の時間」で、「防災」をテーマに活動しようとしてるグループがあったらしい。提案は、そのグループを活動に参加させてもらえないかというもの。高校生が直接参加してくれるのは、委員会としても願ってもないことである。メンバーは合計3回、その授業を訪問した。

 3年生と2年生の4人は、いずれも矢野や近隣の町であの災害を経験していた。中には避難所暮らしをしていた生徒もあった。

  最初は小学生の思い出を分類する作業をしてもらったりもしたが、最終的には読み手に加わってもらうことになった。受験や部活の都合で、本番で読み手になったのは2人となったが、災害のとき、小6・中1だった彼らに「このストーリーには共感がありますか」と聞いたとき、「はい」と答えてくれたことは励ましになった。

 

4 紙芝居の製作

 

 まず、小学生の思い出を読んでストーリーを組み立てた。窓辺で大雨を見つめる兄妹の絵から主人公「ヤノカ」と「お兄ちゃん」が生まれ、そこに何人かの児童が書いていた「誕生日だった」というエピソードを重ねた。大雨の音、スマホのアラート、普段と違うテレビ、変なにおい、翌日の衝撃的な光景、渋滞、休校、復旧作業をする人々など断片的な記憶を繋ぎ合わせて、物語にした。

 絵はたくさんあった。ストーリーに合いそうな絵を選んで、紙芝居の場面を作るが、電子的に切り抜いたり重ねたりして、できるだけたくさんの絵を盛り込もうと努めた。

 紙芝居は25場面で構成されている。記憶を再現しようとして、色鉛筆を握る子どもの姿を思い浮かべると、全部紙芝居に盛り込みたくなった。公表について同意のあるものは、紙芝居とは別に展示することにした。

 

 このプロジェクトの発端となった「あそぼーひろっぱ」で暫定版を披露することにした。非常にタイトな日程となったが、スタッフが協力して、絵をコンビニでA3版にカラーコピー、厚紙を手張り、大急ぎで原作を阿部さんに脚本化してもらい、安芸南高校の授業で練習を行ったのは3日前だった。

 11月19日(日)、矢野ニュータウン中央公園で開催された「あそぼーひろっぱ2023」のステージで上演。

 テレビ新広島の取材があり、後日、紙芝居の製作に至る経緯も含めて編集され、少し長めの放送があった。

 

 その後、完成版披露に向けてスタッフが集まり、推敲会を行い、場面や言葉の修正を行った。

 公民館だよりに広報をしてもらうために、12月末には開催日を決めた。またもやスケジュールはタイトなものになる。場面の枚数が決まらなければ、専用の舞台(木枠)ができない。業者発注する時間はなく、器用なK副隊長に依頼した。

完成はA2サイズ、印刷業者に厚紙貼りまで委託。急いでもらって、安芸南高校での最終練習日に間に合わせた。

 安芸南高校に木枠と印刷した紙芝居が揃ったが、入らないというハプニング。

 また、阿部さんの演出により、テーマソングまで作り、私が歌うことになったりした。

 

 そして、冒頭の上演会を迎え、拍手をいただいた。

 しかし、この紙芝居がどれくらいの共感を得て、活用されるかはこれからである。

 紙芝居はハッピーエンドになっていない。災害から5年、6年生になったヤノカは防災を勉強して「人間は絶対に地球には敵わない」と言い、高校生になったお兄ちゃんは他の被災地にボランティアに出掛けて「誰も被災者の痛みを代わってあげることはできない」と言う。この紙芝居が記録伝承に留まらず、これからも生じるであろう被災地の人に、心を寄せる助けになればと思う。 

 

テーマソング「あの夏を忘れない」

 

あの夏を忘れない 恐れに身を震わせ

あの夏を忘れない 闇の隅に肩寄せた

あの夏を忘れない 涙堪えて上を向く

あの夏を忘れない 降りやまぬ雨はないよと

 

変わり果てたふるさとに

力合わせる スコップの音と

優しさに 感謝を忘れない いつまでも

 

来る日も来る日も 額に汗して

繋がった絆の色は 何色ですか

悲しみに 悔しさに 癒されぬ傷に

あの空に この大地に

思う 生きていること