絵下山への東側(寺屋敷側)からのルートはいくつもあるが、メインコースは車道である。豪雨により、この車道が何か所も寸断されたようだ。テレビ塔の保守点検に支障が生じ、地上デジタル放送が映らなくなる危機だったと、後に報じられた。
国土地理院の災害空撮には、どこよりも太い土石流の跡がある。
矢野山地図に重ねてみると、この太い土石流は、車道より遊歩道に影響している。車道は小さい土砂崩れで壊れたようだ。
平成30年8月26日(日)、私とM副隊長は東麓ルートの踏査に向かった。通行止めになっていることは知っていた。
もとより自己責任、批判覚悟でここを越えて入ってみる。ただ、何組もの登山者が山に向かった。この山を愛する人たちは、気になって気になって行かずにはいられないのである。
1 遊歩道
午前8時半。東麓駐車場は土砂の仮置き場になっていた。日曜日のため、重機は動いていない。
以前はこんな感じ。
駐車場の横を抜けると、遊歩道だが、その入口は流木で見えなくなっていた。しかし、どうも乗り越えやすく置いてあるような気がする。乗り越えてみると、以前と同じ坂道が現れた。
しかし、その先に見えたのは荒廃した景色。
M副隊長は、無口に川に向かう。
お年寄りから「この災害は山が怒ったから起きたのだ」と聞いたそうで、このとき、山に理由を聞き、鎮まるようにお願いをしていたとか。
土砂崩れを過ぎると、森の道が現れた。間もなく分かれ道。左側の南トレーニングコースは無事のようだが、右側の遊歩道は流木に阻まれた。
この辺りは、アケボノソウの群生地。全滅したかと思ったが、流れなかった森の中に残っていた。
横道に進むと、土砂の広場に出た。しかし、あの大きな土石流ではない。向こう側に行ってみる。
荒廃した、巨大な流れの跡に出た。
上に向かってみる。巨大なコアストーンがいくつもある。
この尾根の上で、遊歩道は生きているらしい。土石流跡には遊歩道に案内するテープが結ばれていた。
土石流の最上部が見えた。時間があれば、遊歩道を確認したかった。ほかの登山者の話によると、頂上まで行けるらしい。
この巨大な土石流は、下でV字谷に沿って、一旦ぐっと狭くなる。ここで幅を絞られて、勢いを増したのかもしれない。
谷の横に道が作られており、東麓駐車場に向かっている。
東麓駐車場から下流を見る。もとは、木々が鬱蒼としていて、川の姿は見えていなかった。
2 車道
9時35分、東麓駐車場から車道を上がってみる。
小さな崩れがいくつかある。しかし、これも一時は道を塞いだようだ。(ここを仮にA地点とする。)
深い谷が崩れたとは限らない。写真右は深くて長い谷だが、崩れていない。
その左側で崩れている。土石流というより、急傾斜崩壊だ。
上にガードレールが見える。(B地点とする。)
心配していた「赤と黄色のタマミズキ」。周りは結構崩れているが、両方とも無事。元気に繁っている。
またもや大きな崩れ。(C地点とする。)
C地点の上。
B地点の上。
南トレーニングコース交差点の下では、上から崩れてきた。(D地点)
時間の関係でここで折り返す。遊歩道も車道も頂上まで確認できなかったが、近いうちに、確認に来たい。
車道を下る途中にヤマドリを発見。いつもうまく撮れない。
東麓駐車場に戻り、下流に歩く。墓苑の前にあった、自由広場に渡る橋が外れて流されて、堰堤に引っかかっている。
奥の橋は残っているが、空撮を見ると、その下を流れる渓流がかなり上から崩れている。
キャンプ場に向かう道。この辺りも、木が生い茂り、川は見えていなかった。
もしかしたら、下は滝壺。この岩はすでに深山の滝の上部?
キャンプ場の施設は無傷。
階段を降りると、深山の滝が見えた。寺屋敷の人に、ここが生き残っている情報はもらっていた。
以前より大きく見える。左右と上の木がなくなって、一枚岩が大きく露出したのだ。
以前の様子。滝の周囲が鬱蒼としている。
圧倒的に迫力が増した。(ここにも鉄バクテリアが。)
「矢野川の神様は、ここにいるような気がする」と言ったら、M副隊長は「なぜ、人の命を奪うほど怒ったのだろう」。わりとまじめに悩んでいた。