第267回アタック「発災後の東麓ルート」 | ニュータウン裏山探検記

ニュータウン裏山探検記

やのみー探検隊が行く!
by Yanomii Tanken-Tai

 絵下山への東側(寺屋敷側)からのルートはいくつもあるが、メインコースは車道である。豪雨により、この車道が何か所も寸断されたようだ。テレビ塔の保守点検に支障が生じ、地上デジタル放送が映らなくなる危機だったと、後に報じられた。

 国土地理院の災害空撮には、どこよりも太い土石流の跡がある。

 矢野山地図に重ねてみると、この太い土石流は、車道より遊歩道に影響している。車道は小さい土砂崩れで壊れたようだ。

 

 平成30年8月26日(日)、私とM副隊長は東麓ルートの踏査に向かった。通行止めになっていることは知っていた。

 もとより自己責任、批判覚悟でここを越えて入ってみる。ただ、何組もの登山者が山に向かった。この山を愛する人たちは、気になって気になって行かずにはいられないのである。

 

1 遊歩道

 

 午前8時半。東麓駐車場は土砂の仮置き場になっていた。日曜日のため、重機は動いていない。

 以前はこんな感じ。

 駐車場の横を抜けると、遊歩道だが、その入口は流木で見えなくなっていた。しかし、どうも乗り越えやすく置いてあるような気がする。乗り越えてみると、以前と同じ坂道が現れた。 

 しかし、その先に見えたのは荒廃した景色。

 M副隊長は、無口に川に向かう。

 お年寄りから「この災害は山が怒ったから起きたのだ」と聞いたそうで、このとき、山に理由を聞き、鎮まるようにお願いをしていたとか。

 土砂崩れを過ぎると、森の道が現れた。間もなく分かれ道。左側の南トレーニングコースは無事のようだが、右側の遊歩道は流木に阻まれた。

  

 この辺りは、アケボノソウの群生地。全滅したかと思ったが、流れなかった森の中に残っていた。

 横道に進むと、土砂の広場に出た。しかし、あの大きな土石流ではない。向こう側に行ってみる。

 荒廃した、巨大な流れの跡に出た。

 上に向かってみる。巨大なコアストーンがいくつもある。

 この尾根の上で、遊歩道は生きているらしい。土石流跡には遊歩道に案内するテープが結ばれていた。

 土石流の最上部が見えた。時間があれば、遊歩道を確認したかった。ほかの登山者の話によると、頂上まで行けるらしい。

 この巨大な土石流は、下でV字谷に沿って、一旦ぐっと狭くなる。ここで幅を絞られて、勢いを増したのかもしれない。

 谷の横に道が作られており、東麓駐車場に向かっている。

 東麓駐車場から下流を見る。もとは、木々が鬱蒼としていて、川の姿は見えていなかった。

 

2 車道

 

 9時35分、東麓駐車場から車道を上がってみる。

 小さな崩れがいくつかある。しかし、これも一時は道を塞いだようだ。(ここを仮にA地点とする。)

 深い谷が崩れたとは限らない。写真右は深くて長い谷だが、崩れていない。

 その左側で崩れている。土石流というより、急傾斜崩壊だ。

 上にガードレールが見える。(B地点とする。)

 心配していた「赤と黄色のタマミズキ」。周りは結構崩れているが、両方とも無事。元気に繁っている。

 またもや大きな崩れ。(C地点とする。)

 C地点の上。

 B地点の上。

 南トレーニングコース交差点の下では、上から崩れてきた。(D地点)

 時間の関係でここで折り返す。遊歩道も車道も頂上まで確認できなかったが、近いうちに、確認に来たい。

 

 車道を下る途中にヤマドリを発見。いつもうまく撮れない。

 

3 深山の滝
 

 東麓駐車場に戻り、下流に歩く。墓苑の前にあった、自由広場に渡る橋が外れて流されて、堰堤に引っかかっている。

 奥の橋は残っているが、空撮を見ると、その下を流れる渓流がかなり上から崩れている。 

 キャンプ場に向かう道。この辺りも、木が生い茂り、川は見えていなかった。

 もしかしたら、下は滝壺。この岩はすでに深山の滝の上部?

 キャンプ場の施設は無傷。 

 階段を降りると、深山の滝が見えた。寺屋敷の人に、ここが生き残っている情報はもらっていた。

 以前より大きく見える。左右と上の木がなくなって、一枚岩が大きく露出したのだ。

 以前の様子。滝の周囲が鬱蒼としている。

 圧倒的に迫力が増した。(ここにも鉄バクテリアが。)

  「矢野川の神様は、ここにいるような気がする」と言ったら、M副隊長は「なぜ、人の命を奪うほど怒ったのだろう」。わりとまじめに悩んでいた。