過去の旅行記・散策の記録の第9回目は、2010年4月8日の2010年桜紀行の第11回「横浜」です。


横浜の桜の名所、根岸森林公園です。


地図と楽譜と時刻表-根岸森林公園1

地図と楽譜と時刻表-根岸森林公園2

桜がすごいということは、噂には聞いていたのですが、桜の咲く時期にはまだ訪問したことがありませんでした。
結果は、写真を見ていただければ、一目瞭然でしょう!
公園の中央部に、ソメイヨシノが集中して植えられた丘があり、その周辺は芝生になってます。
地元の中学生の課外授業に、近隣の奥様方の昼下がりの談笑に、お子様連れのピクニックに、そして花見の宴会(ただし火器は使用できません)と皆さん思い思いに過ごされていました。
丘の桜の下に入れば、360度全方向!桜のドームです。

公園内には、他にもあちらこちらに桜が植えられており、オオシマザクラ?や八重桜(まだつぼみ)もあります。


地図と楽譜と時刻表-横浜競馬場遺構1


根岸森林公園には、桜の片隅に、巨大な廃墟が眠っています。


地図と楽譜と時刻表-横浜競馬場遺構4

地図と楽譜と時刻表-横浜競馬場遺構2

地図と楽譜と時刻表-横浜競馬場遺構3


廃墟ですが、写真の通り、堂々とした風格が漂っています。

この廃墟の構造物は、横浜競馬場旧一等馬見所といいます。

開港後、外国人たちの社交場として設けられた横浜競馬場は、日本を代表する競馬場として、輝いていました。この構造物は関東大震災後の建築になりますが、栄華の片鱗を今も感じ取ることができるでしょうか?

戦後、米軍の接収を受け(根岸森林公園には米軍根岸住宅がいまでも隣接してます)、返還されたのちに周辺は公園として整備されましたが、馬見所はそのまま取り残されました。その後、隣接してあった二等馬見所は老朽化で取り壊され、一等馬見所のスタンドの屋根部分の鉄骨も老朽化のため解体されています。

一目見たときから、この廃墟の虜となり、緑濃い蔦に覆われた夏の姿、葉をすべて落とした冬の姿と写真に収め、今回、春の桜越しの姿を写真に収めることができました。


この馬見所は、J・H・モーガンという米国人の建築家が設計したものだそうで、モーガンの日本国内の他の作品には、学校建築が多いようです。
知り合いが、外国の大学のように見えるといっていますが、そのように見えるのも当然なのかもしれません。
横浜には、モーガンの建築が他にもいくつか現存しています。


モーガンさんは、横浜の山手外国人墓地に眠っていますが、その墓地の門柱もモーガンさんと設計といわれています。


地図と楽譜と時刻表-横浜外国人墓地2010春


ここが、山手外国人墓地で、横浜らしい風景の場所の一つになるかと思います。

モーガンさん以外にも日本の近代化に寄与した著名な外国人が多数眠っています。

隣接する元町公園には、昭和初期の西洋館がいつくか現存しており、その中の一つ「ベーリックホール」(写真は別に時期に撮影したもの)もモーガンさんの設計によるものです。


地図と楽譜と時刻表-ベーリックホール


元町公園は、横浜の桜の名所の一つで、(外国人墓地の向かいにある)横浜地方気象台が、桜の開花宣言の基準にする木があるそうです。



地図と楽譜と時刻表-根岸外国人墓地


さて、こちらの写真ですが、これも外国人墓地の写真になりますが、山手のものではありません。
横浜には、他にも外国人墓地があり、そのうちの一つ、「根岸外国人墓地」の画像(競馬場と同日の撮影)です。
JR根岸線山手駅のすぐそばにひっそりとあります。
こちらの墓地には、関東大震災で亡くなった外国人や、昭和17年に横浜港でドイツ軍艦が大爆発を起こした時の犠牲者に、第二次大戦後の米軍占領下で生まれた混血児たちが埋葬されているそうです。


根岸森林公園の近くには、「地蔵王廟」という、中華系の人々が埋葬される外国人墓地もあります。
こちらの墓地は、横浜でも最も古いレンガ建築のうちの一つで、関東大震災でも崩れなかったとか。

ゆえに、横浜の外国人墓地というと、広い意味では「山手外国人墓地」「根岸外国人墓地」「地蔵王廟」の3つを指すんです、と学生時代に山手で知り合った横浜のガイド協会の会長さんに教わりました。


さらに、横浜の狩場(箱根駅伝の難所「権太坂」の近く)には、「英連邦戦没者戦没者墓地」というのがあります。
こちらは、第二次世界大戦のときの賠償金を払うかわりに、英連邦の戦死者の埋葬場所を日本が用意したものなのだそうです。イギリス王室の方々が訪問したこともあるそうです。
墓石の脇にはバラが植えられているそうで、花咲く時期は大変美しいそうです。