昨日、大阪で高校生の自殺という痛ましい事件がありました。
このことについて、責任を負おうとはしない人たちがギャーギャー言ってるのに怒りも覚えます。
コメント言ってる暇があったら遺族への心のケアとかを重視するべきだと思います。

ところで、タイムリーなのですが、重松清さんの『十字架』を読みました。
いじめが原因の自殺事件(あくまでフィクション)を題材にした小説です。

実は、僕も中学校の時、いじめにあっていました。
運動が苦手なのに勉強は一応ついて行ってたので、「生意気」とみられていたみたいです。
学校からの帰宅途中に顔を殴られ、鼻血を出して家に帰ったこともありました。
僕の場合は、運よく、担任の先生や生徒指導の先生が対応してくれて、手遅れにならずに済んだのですが。

その時の両親の態度、今でも覚えてます。
学校のこと、いじめっ子のことなど、めちゃめちゃに言ってました。
たぶん、表では平静を保ってても、決して「ゆるせない」心理状態だったのでしょう。

この小説を読みながら、自分の実体験と重なる部分が多かったです。
大きく違うのは、生きているか死んでいるか。
こういうのは結果論であって、いじめ自体の罪を軽くするものでもないです。

死んでしまった生命は、もう生き返ることはありません。
ましてや未来ある子供の命は、大人になることもありません。
なんか、考えたくもないんですけど、あの時のいじめで死んでたらとかも考えてしまいました。

だから言えるんですけど、前の職場であったことも、今思うと「障害者に対するいじめ」だったのかなぁと思ったりもします。
せっかく障害を乗り越えて道を切り開いたと思っても、「障害」っていうのは一生背負ってかないといけない十字架になるのかなぁ。