あなたは孤独ですか?
孤独というのはどういうことでしょうか?

僕は東京に住んでいますが、
友達はほぼいません。
会社の同僚や仕事で知りあって、
少し遊ぶようになった人達をを友達と呼んでよいのなら、
少しはいる、といってもいいのでしょうか。

最近は休みの日に家で過すことも多いし、
下手をすると誰とも一言も口をきいていない、
なんてことも、ざらにあります。

まるで「無縁」な生活で、
寂しいな、と思うことはあるけれど、
それが自ら求めた人生の結果と考えると、
致し方ないのかな、と納得せざるをえない部分もあります。

しかし、孤独を感じるか?
と問われると、案外そうは思ってません。

別に遊び仲間を増やしたければ、そうすれば良いだけだし、
何か趣味のことをすれば、簡単に他人との関わりは増やすことはできます。
ただ、今はそうしていない、ということ。

状態を表わす言葉としての「孤独」は、
モノが単独である状態なんだろうけど、
人間の「孤独」というのは、他人との関わりの多寡によって決まるものではないのではないかと思います。
つまりは、心の問題だ、ということ。

山の中で完全自給自足で暮していれば別ですが、
多くの人は、少なからず誰かと接触して生きています。
全く誰とも関わらずに生きていくことは不可能です。

誰かと身近にいること、
他人との距離の密度をあげること、
それを望む、望まないも、
心の問題といえるのではないでしょうか。

本当は他人と関わっていたい、
と思っている人がいたとして、
それを行動に移せないのも、
単純に心の問題といってもいいと思う。

誰も孤独ではない。
気付かず誰かに助けられたこともあるはずで、
他人と過ごすこと、他人と関わることのありがたみを、
忘れて、「もっともっと」と求めているだけではないだろうか?

一人で過すことと、孤独を感じるというのは、
別のこと。
一人を楽しむ生き方もあるし、
恥じる必要もない。

恋人を作ることも、結婚して所帯を持つことも、
多勢の仲間とスポーツに勤しむことも、
意見の相違で喧嘩することも、
TVにでてくるおしゃれなレストランで食事することも、
海外旅行も、国内旅行も、
何事も経験しないよりしたほうがいいとは思う。

けども、そのどれかか欠けたからって、
人間として劣っているわけでないし、恥じる必要もない、ということです。

今、若くて「無縁」な人は、
少し努力をして、あきらめずに、
いろいろチャレンジすればいいな、
とは思うけど、
無理なら無理で、しゃかりきにやる必要ないし、
まずは
「自分を楽しむ」
「自分を愛する」
「自分を大切にする」
を大切にすれば、
自分に余裕が出てくるのではないかな、と思います。

孤独を感じるあなたへ。

――

身分帳 佐木隆三
講談社文庫



本屋さんの平積を見て購入。
ノンフィクションだそうです。
映画化されるので復刊したとのこと。

佐木隆三氏といえば
「復讐するは我にあり」
が代表作だそうです。
実家のにあったかな?
読んでないけど。

少年時代から犯罪傾向で
最後は殺人事件を起して、13年服役した主人公が
満期出所するところから物語が始まります。

出所時44歳。累計で23年も獄で過した人物の生い立ち、事件のこと、人柄、
出所後の生活、他人との関りなど、
物語の中で明らかになっていきます。

作中随所に挿入される、、
刑務所で記録される「身分帳」や裁判調書などが
ノンフィクションのリアリティを補完してくれます。

そうした構成なので、
少し読み難さはあるかもしれません。

細かいことは書きませんが、
フィクションとはまったく違う読了感で、
映画はこれから公開ですし、
分かりませんが、おそらくノンフィクションこの感覚を得ることはできないと確信できるので、
是非、原作とされる本作を読んでもらいたいと思います。

いっぱい書きたいことはあるけど、
このくらいで。