少し前に、湊かなえさんの本のところで、

人間というのは相対的なものだ、と書きました。

奇しくも、そんな感じの話が掲題の本でした。

 

結構、人間って思い込みで生きているものです。

あいつはこんなやつ、こう考えているはず、等々。

 

でも、そういうのはほとんど事実ではない、といえます。

そして、そんなことは、それぞれの頭の中で起こっているだけで、

実際は発生していないことに対して、

考えている、ということがほとんどです。

 

記憶も比較的簡単に都合よく書き換えて覚えがちだし、

過ぎたことの真実は、実はそう簡単に辿って修正できるものではないものです。

 

「相対的」という話と微妙にズレますが、

僕は昔こんなことがありました。

少し尾籠な話なので、嫌な方は読まないでください。

 

僕はかつてど田舎に住んでいました。

小学生のころ、●●君と一緒に下校中のときでした。

 

●●君が便意を催しました。

彼は、「野糞するわ」といって、田んぼの真ん中で

お尻をつるりとむき出して、

野糞をしたわけです。

 

それは、衝撃だったのですが、

中学生に上がってから、更に衝撃を受けました。

 

●●君とは中学時代はそれほど頻繁に話したり遊んだりしてませんでしたが、

ひょんなことから、●●君と話す機会がありました。

その時、彼が徐にこういったのです。

 

「そういえば、小学校のとき、お前野糞したことあったよなー」

 

僕は奥ゆかしい性格なので、

そんなことはとてもできない。

それに、野糞したのはお前だ、という話。

 

僕の記憶は彼になっていました。

彼の記憶は僕になっていました。

 

さて、真実はどちらにあるでしょうか?

 

そんなことが、たった数年で起こり得るのだから、

人間の記憶というのは恐ろしいものです。

 

確実に言えるのは、繰り返しになりますが、

僕は調子乗りで、ええかっこしいですが、

非常に奥ゆかしい性格なので、

野糞なんてことはおそらく絶対にしません。

 

とはいえ、おそらく、●●君と僕が二人でいるときに、

どちらかが野糞したのは、おそらく事実なのでしょう。

ほんと、きたねぇ話だな(笑)

 

曖昧な記憶、という話なわけですが、

他人とのコミュニケーションだって、

結局は同じこと。

 

自分が絶対的だと思っていると、

おかしなところで、足元をすくわれるときもあります。

 

人間は相対的なものであり、

真実ですら、他人によって書き換えられる可能性すらあるのです。

自分の真実は、他人の真実ではないのです。

 

だから、いつも予断をもって人と接するのは、

忌避すべきことだと思います。

 

わからないこと、知りたいことはちゃんと確認をしないと、

思い込みで不幸になることもあるのかもしれません。

 

・・・以上、ではありますが、

なんか、記憶違いの話をちょっと前も書いたな。

僕は記憶力が本当にヤバいくらいだめな人間なんだろうか・・・

 


 

ポイズンドーター・ホーリーマザー 湊かなえ

光文社文庫

 

ポイズンドーター・ホーリーマザー (光文社文庫)

 

短編集です。

ラスト二篇が本のタイトルになっています。

 

僕は共感できることがあり、

また、反省もしました。

 

最近、人間不信で・・・なんて人は

読まないほうがいいのかもしれないね。

 

僕はこれは端からミステリとしてアプローチしないほうが正解だと思う。

心のざわつきを楽しめる人に。

 

僕は十分楽しめました。非常に面白かったです。