四川のイチゴ農場に泊まり込んでいたとき、
連日の重労働と大小のいざこざで
心身ともすり減ったものの、
息抜きの発明にかけては
私たち若い社員はまさに天賦の才を誇った。

 

 

丸ごと借り上げた村の土地に
ハウスをビッシリ建てていたため
細切れ遊休土地が幾許か生まれた。
そこへ各々自分の食べたい野菜の種を撒いては
自家菜園を楽しんだり、
料理大会を開いては食材を無駄遣いしたり、
度数40度の安酒を飯の友に、
酔った勢いそのままトランプや
マージャンに興じたりしたものだ。

 

 

ある日、いつものように卓を囲ってくつろいでいたら
足元に擦り寄ってくるモフっとした感触が。
生まれて間もない子犬で、
憐れにも村のごみ収集所に捨てられていたところ
女子社員のヤンさんに拾われたらしい。
最初はなんて汚いわんこだと思っていたが、
時が経てば情も移るもので、
手のひらサイズの可愛さと、
どこまでもついてくる人懐っこさも加わって、
しまいにはその汚い毛並みの不憫さにも
保護愛を掻き立てられたから不思議だ。

 

 

私が肥料の分量を測る作業の時も
足に絡んでくるため、軽く追い払った時の
彼女のつぶらな瞳に軽く心を砕かれた。
思わず携帯で写してしまったが、
この何日か後に、
彼女は電気自転車に轢かれるという
不慮の死を遂げることになろうとは想像だにしなかった。

 

 

親なき子の遺影を眺めながら、
もっと構ってあげればよかったなと、ちょっと胸が痛む。

 


パスポートを初めて手にしたのは3歳の時だ。

 

とっくに期限が切れたそれは今も手元に残しており、乾燥してめくれ上がった表紙と、子どもよりは赤ちゃんだった私の写真はいかにもレトロな時代感が漂って、おまけに写真は白黒ときた。

 

このパスポートを手に、小さなリュックを背負って私は成都から両親の待つ広島へと飛んだ。生まれ故郷の成都と、やがて第二の故郷となる広島は1984年に友好都市協定を結んでいた。生まれる2年前の出来事で、両親も確か交流事業の一貫で留学に来ていたと記憶している。

 

しかし添乗員に付き添われていたとは言え、なぜ子ども一人を飛行機に、それも異国に飛ぶ国際便に乗せられたのか、今でも全くもっての謎で、親の神経の図太さには脱帽するしかないようだ。

 

20数年前の話なので、辛うじて当時の情景をあやふやに思い出せるくらいだが、ファーストクラスのやや広めのシートに座らされた私は緊張で体がこわばり、食事もあまり喉を通らなかったと思う。

 

狭苦しい空間、見慣れない場所、顔の知らない大人たち、そして時折音を立ててぶるぶる揺れ出す機体。きっとホラーハウスに放り込まれた気分だったに違いない。

 

ちょうど窓際の座席で、なんだか視界の端がやけに眩しくて、首を少し傾け窓の外を見てみた・・・。

 

韓国のインチョン空港で搭乗に向かう道すがら、一組の親子連れを見かけた。まだよちよち歩きの子どもの方は引きつけられているかのように、お母さんの注意も構わずぱたぱたガラスを叩きながら無邪気にはしゃぐ。

 

こんな歳で旅行か、時代は変わったなと眺めていたら、突如、子どもは動きを止め、一点を一生懸命に見つめ出す。遠くに佇む飛行機の巨大さに目を奪われていたのか、はたまたガラスに映った自分の姿が面白かったのか。

 

思うところがあった私は、背後を通りかけた時心の中で、この小さなバックパッカーにささやかな助言を差し上げた。

 

驚くのはまだ早い。もうすぐ君はもっと凄いものに出会える。

 

空に上がったら、窓の外を見てご覧なさい。

 

太陽と、雲と、空だけの

 

 

世界。

 

 

君は言葉を失うだろう。感動するだろう。

 

私がそうだったように。


中国はその昔、
大陸とヨーロッパを繋ぐ
シルクロードの終点として、
人、モノ、情報、カネの
集散地の役割を果たして来ました。
それが隋唐の時代には極みに達し、
価値観と文化を吸収・輸出を
猛スピードで繰り返す、
一種の卸売物流センターとなります。
そして、そうしたグローバルな
文化物流網の恩恵に与ったのは、
他ならぬシルクロードの
最最末端に位置する日本でした。


二千年前の人の感覚では、
中国なんてのは崇めるほどアジアでは
超・先進国だったわけで、
日本列島にはまだ農業すらなく
石器しかなかった紀元前に
既に閏年を組み込んだ暦法を開発してますし、
やっと稲作が列島に普及したと思えば、
中国では既に初歩的な
代数計算が完成されていたのです。
もはやラピュタ並の
高度文明国家と言ってもよいでしょう。
中心から末端へ、西の大陸から
東の島、南の海へと、
昔のグローバリゼーションは
シルクロードに沿って
低きに流れる水の如く極東に注ぎこみ、
各地で文明の花を次々と咲かせていきました。


では今はどうかと言えば、
逆流し始めているのです。
文明の花は、
自身のエッセンスである花粉を、
今度は大陸に向けて
飛ばし始めているのです。
その勢いとスピードたるや
想像を絶するもので、
傍から見て頭の中が
にわかに忙しくなるばかりです。
日本を例に挙げても、
街中で目にする平仮名の広告や看板、
ラジオで耳にする日本のポップミュージック、
口にする日本料理等々切りがありません。
日本を除き
世界で一番日本人が
集まる都市はどこでしょうか?
それは上海なんですね。
流動人口も含めれば10万もの日本人が
上海の土を踏んでいるのです。
13億人のブラックホールが作り出す
この文化がぶ飲みは
しばらく止みそうな気配はありません。


東から西へ、島と海から大陸へ
今、風か吹いています。
21世紀のシルクロードはそうなっています。
私達は生きているのは、そういう時代なんです。