この度、東日本の大地震で被災されました皆様には心よりお見舞いを申し上げます。被害の大きさに私も胸が締めつけられる思いです。一日も早い復興を願ってやみません。皆様が健康を取り戻すためにも、私も自分のできることでお役に立ちたいと願っております。
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3月11日金曜日、午後2時46分。四ツ谷の4階教室で、突然、立っていられないほどの大きな揺れ。ちょうどその日は宮廷二十一式健康呼吸法の午後のクラスが遅めに終わり、生徒のWさん(
80歳、女性)が教室を出ようとしたところでした。室内の鏡の一部と本棚が倒れ、花瓶も落ちて割れました。地震がおさまってから、娘の王汀とWさんと3人で近くの公園に避難。しばらくして揺れが落ち着いてから、3階の養生院に帰ると、先に駅に向かった生徒さんが、電車が止まっていると知らせてくれました。埼玉に住むWさんは、とても帰れないということで、養生院で一晩過ごすことになりました。
また、この地震で、生徒さんや、仕事でお世話になっている方々が心配になり、電話やメールで連絡をとろうとしましたが、一向につながりませんでした。

この日は大きな余震が続き、不安でした。しかし、養生院にはテレビ、ラジオがないので様子がよく分かりません。私も仕事をしながら、結局ほとんど眠らずに翌朝を迎えました。Wさんも3時間ほどしか横になられませんでした。朝8時ごろ、駅に行ったら電車が動いており、Wさんは帰っていかれました。そうして、御宅にたどり着いたのは午後2時。6時間かかったそうです。
その日の午後、私と王汀も歩いて自宅まで帰り、テレビをつけた途端、目を疑いました。地震と津波による被災地の信じ難い光景が映っていたからです。本当に恐ろしくて、悲しくて、しばらくは動くことができませんでした。

この映像を見ながら、私は中国・北京で経験した35年前の唐山大地震のことを思い出していました。河北省唐山市付近を震源とするこの大地震は24万人もの死者を出したと言われ、唐山市は壊滅状態になりましたが、北京も大変強く揺れ、大きな被害が出たのです。当時、北京で病院に勤務していた私は、夜中に地震で目が覚め、あわてて病院に向かいました。行く道の家々は倒壊しており、また、病院に着いたら、傷を負った人々であふれかえっていました。それからというもの、医師・看護師は皆、不眠不休で手当てにあたりました。

東日本の今回の地震では、多くの方が亡くなり、まだ、行方が分からない方も大勢いらっしゃいます。18日金曜日、教室にTさんが遅れてきて、「先生、今日の朝、やっと息子と連絡がとれたんです!」と、うれしさで泣き出さんばかり。私もそれを聞いて、ほっとしました。ただ、今なお、連絡の取れないご家族の心配をしている方がどんなにたくさんいらっしゃることか…。

一方、震災による被害で、福島の第一原子力発電所から放射線が漏れ出す事故が起き、復旧作業が急がれています。無事を願わずにはいられません。

生活を続けてく上で、私たちが放射線から身を守る術について。予防的にどのような食材を摂取していけばよいかを、次からご紹介していきたいと思います。