ユッキーの屋根裏書庫(3) | ATTIC blog

ユッキーの屋根裏書庫(3)


阿部コラム「ケケカカ物語」



あまりに体の奥底にあるので、自分でさえ忘れていた感覚を思い出す―「ケケカカ物語 とり小僧 ~陽気幽平experience」グッピー書林



 今年は”劇画”という言葉が世に出て、50周年になる年らしい。今出ている「AX(アックス)」に、その特集が載っている。辰巳ヨシヒロと松本正彦の対談(なんと2000年に収録したものが、諸般の事情で今回発表!なんだそうだ)が、たっぷりゆったりしていて興味深く楽しい。当時の貸本劇画界の、ある意味いい加減で、しかしパワフルかつしたたかな雰囲気が感じられて、なるほど半世紀も時代が変わったことを改めて認識させられる。なかなか良いインタビューだ。(だが待てよ、僕は”劇画”と同じ年齢ってことなのか、もしかして?)


 その貸本劇画界の中でも、異端のレア物とされていた陽気幽平の「ケケカカ物語 とり小僧」が復刻されて出ている。すごい!これは即買い。この作品が当時どのような立ち位置にあったかは、巻末にきちんと解説が付いているので省略するが、兎月書房の「墓場鬼太郎」シリーズに掲載された作品、とだけは覚えておこう。試験に出るぞ!(嘘)


 それにしても、このタイトルの”ケケカカ”というリズム。編者の一人である菊田ダイも本書の前書きで書いているが、たしかにやられる感じ。あなたが何かのクリエイターだったとして、この題名で作品を企画したりプレゼンしたり、まして創作して発表できますか?または、途中でくじけないですか?


 というくらいに、ぶっ飛んだタイトルに思うけれども、読んでみてさらに思うのは、打ち捨てられた廃屋の、物置の中に転がっていた仏壇の扉を開けたら、はからずもプ~ンと漂ってでもくるかのような、古臭くかび臭く、だがとんでもなく懐かしい匂い…。あまりに体の奥底にあるので、自分でさえ忘れていたような…。でも間違いなくこれは、昭和30年代の日本では、ある意味”当然”のこととして空気のように受け入れられていた感覚なのだ。すっかり”欧米化”して、まるでそんなものの痕跡すらなかったかのように皆知らんぷりを決め込んでいるけれども。そして、決め込んでいるうちに、敢えて忘れたこともまた、忘れてしまったけれども。


 なにしろ、この”ケケカカ”とは、単に鳥の鳴声の擬音らしいのだ。主人公が半魚人ならぬ半鳥人で、トサカが付いていていて足も鳥のようなのだから、ヒネリも何もあったものではない。鳥人間を軽~く、かつ、露骨&十分に差別した語感と言って、おおむね間違いあるまい。しかも舞台は鶏肉店「かしわ」屋で、経営者の若夫婦が”妊娠中に殺生をしてはいけない”という伝承を気に病んで葛藤するという、実に因習に満ちた物語なのだ。


 さすがにこのセンスは、当時ですら古かったかも知れない。だからあだ花のように消えていく弱小メディア=貸本の中でも、さらに端役に甘んじざるを得なかった、と推測することもできる。でも今読むと、この因習に満ちた差別感覚が、単なる侮蔑の対象として対象をスパッと切り捨ててしまう”鋭利な差別”ではなく、得体の知れないものへの畏怖の感覚を含む"丸みのある差別”のような気がしてくる。


 鋭利とか、丸みとか、感覚的なことを伝えたくて書いているだけなので、きちんとした定義がある表現ではないのだけれど、畏怖=おそれの感覚の中には、たとえば人間には到底抗えない自然の力に対する、恐怖と尊敬が入り混じったような、複雑な感覚が込められているような気がするのだ。少なくともそこには、真正直にも、はっきりとした混乱や動揺が顕われていないだろうか。


 これが様式化してチープになると、見世物小屋感覚につながるのだろう。

 たしかに差別はいけない。だが「差別はいけない」と、自らの思考回路や生理感覚を深く吟味するのをすっとばして、簡単に標語やルールでショートカットしてしまうと、本来迷ったり考えたり煩悶したりすべき、複雑な感情がごっそりと削ぎ落ちてしまうような気がする。すると奇妙なことが起きる。たとえば、かつてあった小人プロレスは、たしかに差別を含んでいたかも知れないが、ある意味で小人症の人たちに雇用の機会と、プライドを発揮する場所を与えていたとも言える。活躍の場を奪うことが、差別の撤廃なのだろうか。そんなに、ことは単純なのだろうか。


 ここらへんの本来大切な迷いの回路をすっとばして、今の日本があるような気がする。一言で言って、要するに”人まかせ”のままやってきたのだ。欧米を参照し熟考するのではなく、鵜呑みにしてきたのだ。その結果、今どんなものが瓦解しているのか、私たちは様々な事象で体験中である。

 書いているうちにでかい話になってしまった(悪い癖)。「ケケカカ物語」を楽しむには、こんな文章忘れた方が良い。でも今ちょっとだけ、ある種の本物志向も芽生えているのかも知れない。TVの深夜アニメでは、貸本タッチの鬼太郎が放映されているが、あれ、正義の味方には見えないだろう。あの感覚の、もっともっと濃ゆ~いのが体験できるマンガとして、お好きな方には推薦しておく。


※自費出版なので、アマゾンとかでは買えないようですよ。タコシェ・オンラインショップ とかで(送料かかりますが)購入可のようです。