初めに私が発覚後どのように動いて来たのか箇条書きで書いていきます。その理由や経緯などはその後細かく書いていくのでお急ぎの方などは箇条書きのところをお読みください。
【箇条書きでの経緯】
小さいクリニックだったので、嚢胞発覚後MRIを撮ってくれる病院に行き再び病院で確認してもらう
⇒Leghと診断確定される。
⇒病院では見れないため大学病院を勧められる。
⇒招待状を書いてもらう。
初めに病院に言った日から10日ほど経過していました。(最短の予約日で動いていたが血液検査などの結果も待ったため)
ナボット嚢胞だと思うし大丈夫、と言われていたのでまさかの結果に驚きました。
結果がわかるまで不安で沢山Leghについて調べていたので怖くなり姉に着いてきて外で待ってもらっていました。
結果を姉に伝えるときに実感が湧いて号泣したのを覚えてます。
大学病院に行くことが決まったものの、皆さんご存知だと思いますがこの病気の厄介なところは癌かどうか見分けがつかないということ。
病院にいき病理検査を終えるまでの20日間は自分が癌なのか?子宮全摘出をいわれるのか?もう子供を産むことは出来ないのか。と考え続ける日が続きました。
今後治療を行っていく上で、実家に帰り母に報告しました。もしかすると子供が産めなくなるかもしれない、子宮全摘出する人が多いと聞いたと伝えました。
1人で背負っていた不安を家族に話せたことで味方がいる、支えてくれている人がいるという安心と病気の実感。そして私のために泣いて悲しんでくれ必死でサポートしてくれる母の優しさを感じる度に私にはこんなに愛しく大事にしてあげられる子供が産めないかもしれない。ずっと憧れていた母のような子供を大切に育てる「お母さん」になれないのかもしれないと考えていました。