山形県高畠町で貸家を経営し、母の介護をしながら自己紹介を行っているチェリーこと渡部 泰則です。

 

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今日はチェリーこと渡部 泰則の自己紹介をします。

 

私は1959年、昭和34年生まれの61歳、高専、大学院(専攻は化学)を卒業し、大手半導体生産会社に入社し定年までを35年間行い、一昨年定年退職し、両親の介護を行っています。

 

生まれは山形県東置賜郡高畠町です。

 

生まれ時は母の実家でお産婆さんにお世話になりました。母の実家は山⛰の地区で自然豊かな、川には岩魚やカジカが生息しています😊

 

 

これは父の実家近くの庭で撮ったもの母に似ていると思います(笑)

 

小学校の頃は 土日 母の実家に行き野山を駆けめぐっていました。アウトドア好きはここあたりで育まれたのと思います😊

 

中学校は野球部に所属して、補欠でしたが地道な時練習で総体の試合には代打で出ていました。

 

中学校を卒業し、鶴岡高専に入学するため家を離れ、寮生活、下宿生活。途中、野球で腰椎椎間板ヘルニアを発症し、1年休学して、成績をアップさせ、次は長岡技科大に入学。身体を壊したので大学時代は以前から興味のあった茶道部に入り、日本文化を1から教えて頂きました。その茶道部の師範は長岡市の石州流野村派の宗匠 堀政晴さんです。自ら鋳造師で朝日新聞社賞も取っている方です。堀先生に日本文化、芸術を教えてもらいました。心の師です。大学院まで勉学して、長男である為 地元の山形県の企業に就職しました。

 

そして地元に戻ったと思ったら、なんと高専時代の鶴岡の工場に配属されたの、実家からは通勤出来ず。両親はちょっとがっかりしていました。そして技術者として、また、改善業務で35年の会社員として仕事を真っ当しました。色々ありました、同じ場所で仕事しても会社の名前が3回も変わり技術力があっても会社の悲哀を感じ、その原因を退職後 原因を明確にして、退職後の人生の糧にしようと色々なセミナーに行くことを決めていました*\(^o^)/*

 

 

家族では、29歳で妻と結婚し、長女、次女、長男の子供に恵まれ、楽しい育児でした。

息子が軽度発達障害で、中学校あたりから育児に関わりました。

 

3人とも就職して一本立していますが、こらからも色々あるでしょう(笑) ここは別の機会に(笑)😊

 

そして45年ぶりに定年退職して地元に戻ってきたのです。

 

退職して半年後、父親が末期のガンに犯され余命1ヵ月の宣告をされたのです。高齢で手の施しようがなく緩和ケアで最期を迎えるようと言うことで穏やかに亡くなりました。

 

そして現在の職業である不動産賃貸業、いわゆる大家を父から譲り受け右も左もわからないなりにも何とか起業し1年が過ぎました。

 

その間、オンラインセミナー、創業セミナー、熱中小学校、高畠町商工会社、そして、SNSを駆使してなど色んなところで繋がりはじめています😊