今日は日曜日。一日雪でした。
皆さんはどんな日曜日でしたか?
私は午前中はプールで水中ウヲーキングと水泳をし、午後はコンサートに行ってきました。
さて、先日紹介したこの「「特攻」と日本人」という本を読み終えました。
作者の保阪正康は、昭和史に対してずっと関心を持ち続け、特に「特攻」に関してはその関係者や幸いにも生き残った方々にインタビューを重ね、この本をまとめました。
「特攻」というのはすでに死語に近く、私自身今さら特攻もないだろうという気もしましたが、この間の週刊ブックレビューで紹介されていたこともあり、読んでみたわけです。
保阪は、死ぬことを運命づけられた若き特攻隊員を、英霊としてたたえるのではなく、また犬死であり無駄死にだったと決め付けるのでもなく、彼らの心の底に深く思いを馳せ、その悲しさを描いています。
ただし、当時の政治家、海軍・陸軍の幹部の軍人等の戦争に対する見通しのなさ、冷静な戦力分析を怠り精神論に転化させていくいいかげんさ、そして何の見通しや分析をすることなく戦争や特攻を推進したことに対する無責任さについては、舌鋒鋭く批判しています。
日本軍の参謀本部や政治家の無責任さやいいかげんさについては、すでに半藤一利の「ノモンハンの夏」等で明らかにされていますが、保阪も本書において厳しく糾弾し、また彼らが戦後自らの責任を負うことなく、むしろ責任回避の発言を続けていたことに対しても告発しています。
そのような戦争指導者を持った時代に生きた若者たちの悲しさはどんなにか深かったことでしょう。しかしおそまつな指導者を持つ悲しさや苦しさは、小泉首相を圧倒的多数が支持している現在においても共通しているかもしれません。
それらの批判とはまた別に私は、特攻で死んでいった人たちが20代前半の本当にまだ若い人たちであったことに今さらながら驚きました。
そして彼らの多くは、海軍兵学校卒業のプロの軍人ではなく、学業半ばに応召された学徒兵であったことにも愕然としました。それも東京大学、慶応大学等の極めて優秀な大学の学生たちです。
作者である保阪は、特攻はあえてプロの軍人ではなく半ば素人の学徒兵に意図的に強いたものである、といことを指摘しています。
もともと特攻の第1号は、40代後半の軍人が、年上の方から死ぬべきであるとの信念から行ったものだったが、そのような考えが広まると自分たちが早く死ななければならないと考えた軍の幹部が、それを秘密にして、あえて学徒兵を対象にして行ったものだとも指摘しています。
このような卑劣な者が社会や軍の上部に存在し、彼らが国の運命を左右しており、自らはそれに従わなければならいという悲しさ。これは現代にも通じる問題です。
我々一人一人が、我々を指導すべき指導者のありようを厳しくみていかないと、いつのまにか自らの死を招いてしまう、という歴史の教訓を特攻は最も極端な例として、後世に示しているように思います。
