今日は大学から離れた話題ですが、最近、よく報道されている(た?)田母神氏という人の論文に関する問題に関して、ひょんなことからその人の論文なるものがネットに出ていたのに気づいたのでちょっと見てみました。


http://www.apa.co.jp/book_report/


感想を一言で言うと、「こんなの論文というに値しない」、ですかね。


まず、論文として基本中の基本、引用がほとんど載っていない。論文でまず大事なのは、いかに客観的にかつ、説得力のある意見を構築するかです。そしてその条件を満たした上で、独創的な意見を展開するというのが、いわゆる良い論文ですよね。そう思うのは自分だけでしょうか?


翻ってこの人の「論文」。「それあなたのほかに誰が言っているんですか?」とか「それを裏付けるデータは」といいう突っ込みどころが満載です。たまに引用も出ていますが、引用の仕方も自分の論理を正当化するために使っている意図が見えすぎて、自分の立場の方にとって都合のいい引用しかしていないので、議論の全体像が全く見えてこない。いわゆる先行研究というか、この論文で主張することがいかに客観的にも正しいかという証明をする作業がまったく抜け落ちています。


故に基本的に個人的見解を述べているだけであって、理論の構築方法も、自分の推測を元に、新たな推測を積み重ねっているだけなので、客観性も何もあったもんじゃない。その理屈からそんな結論を導き出すのは不可能だろっていうような、論理の飛躍が随所に見られます。内容云々の前に、論理展開の仕方が非常に強引で、正直読んでいて不愉快です。こんなの、アメリカの大学の学部レベルでの授業でさえも、こんなペーパーを出したらほぼ間違いなくFです。引用を明確にしろ、論理の飛躍をさせるなとか言うのは、アメリカの大学の1年生がまず習う基本中の基本です。


そんなわけなので、読み進めていくのに非常に理性的な抵抗を感じるこの「論文」ですが、全部で9ページしかないから割とすぐ読めるんですが、9ページって。別に長さが全てではないですが、こんだけ爆弾発言をしておいて9ページって、説明不足もいいところです。まさに言いっ放しとはこのこと。ブログじゃないんだから。


この「論文」を読んでて、真っ先に思い起こされたのが、昔マガジンでたまーに連載されてたMMRですかね(笑)。なんかノストラダムスの大予言とかそういうのを調査している人たちの話で、やはりめちゃくちゃな論理を展開していたのですが、それを見ていた時の感覚が蘇ってきました。


そして極め付けが、こんなものに300万円。


これは、主催者にも問題がありますよね。しかも、ご丁寧に英訳までして、世界に発信していくなんてことを言ってるのですが、出直してきた方がいいんじゃないんですかね。理論構築が稚拙すぎます。一笑に付されて黙殺されるのが関の山だと思います。それで終わればまだいいですが。


言論の自由とかって本人はいっていますが、その権利を声高に主張するならば、その権利を主張するに見合うだけの説得力のある論文を書くべきである、そう思います。それが言論の自由という理念が成り立つためのルールだと自分は思います。自分の主張だけをゴリ押しするのが言論の自由では決してない。いかに、自分の主張を誰もが納得できる形で伝えるか、本来の意味で言論の自由を主張してきた人たちというのはそこまでの配慮をしてきているように思います。彼の論文にはその配慮が全くありません。


自分はルールを無視しているのに、権利だけを主張する、それが彼のやっていることにしか、自分には見えません。それは言論の自由のために本当に命をかけてきた人たちに失礼です。