というわけで今日は前回からの続きですが、本来大学にいけないはずの人の為にあるのが奨学金であるべきなのに、奨学金がなくても大学にいける学生達に財政援助をしているLottery Scholrashipというのは本末転倒ではないか、という意見があります。それはもっともなのですが、しかしそれはLottery Scholarship自体が他の奨学金とは異なるタイプの奨学金だということを理解する必要があります。


Lottery Scholarshipを導入している州はいくつかありますが、それらの州の特徴として、州の経済レベルが全国的に低いと言うことが挙げられます。


それでは、その経済を発展させるにはどうすればいいのか、ということですが、一つの単純な回答として、一人当たりの平均収入を増やすということです。そうすることによって、税収が増え、州の財政規模が大きくなり、州がより多くのことができるようになります。


そのためには、


①より沢山の企業を誘致し、雇用を増やす

②「優秀な人」を州内に引き止める


この二つは、どちらが先に来るのかと言う順序をつけることはできません。しかし、経済発展のためには両方欠かせません。


それでは、何をもって「優秀な人」と定義するのかですが、教育政策の上では、一つの見方として、それは「教育された人」ということになります。すなわち、大学を出たかどうか、つまり、大学の学位を持つ人、そして学力のある人、を意味します。


この根底にあるのは、Human Capital の論理であり、学力が高い人ほど労働生産性は高いと言う見方です。そして労働生産性の高い労働者が多ければ多いほど、その地域の経済は発展する、という理屈です。この論理の元では、教育は経済政策の一角として、経済発展の方程式に組み込まれています。


当然、一見、人間を機械のように扱うこの見方は、反発も多いですが、これはアメリカの教育政策の根幹に流れる思想と言っても過言ではないように思います。物事の解決方法よりも、解決できるかどうかに焦点を置く、アメリカ人らしい発想と言え、日本ではあまり受け入られがたい発想のような気がします。アメリカにおいては経済発展が政策の至上命題である限りは、この流れは変わらないでしょう。


話がそれましたが、その優秀な人=学力のある人を、州内に引きとめる為に作られたのがLottery Scholarshipであるわけです。すなわち、奨学金と言う報酬を渡すことによって、人材を州内に確保する、別の見方から言えば、州が人材を買って投資している、それがLottery Scholarshipの論理になります。


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政策研究の世界に入って数年発ちましたが、今一つ思うのは、全ての問題を一度に解決できる特効薬のような政策なんてありえない、ということです。一つの問題を解決すると言うことは、すなわち、それは別の問題を放置すると言うことであり、別の問題を作り出すわけです。


従って、何が大事になってくるかと言うと、様々な政策を同時進行で行うこと、例えば、うちの州で言えば、Lottery Scholarhsipだけが州の奨学金ではないわけで、他にも貧困階級から来る学生をターゲットにした奨学金プログラムもあります。それぞれターゲットにしている学生は異なり、どちらも必要な政策と言えます。


しかし人というのは、物事を単純にしたがる傾向があり、他より目立つLottery Scholarshipだけを取り上げて、それだけを単独で議論しがちですが、大事なのは総合的に奨学金プログラムを議論することのように思います。


全体像を見失った政策論議ほど危険なものはない、そう思う今日この頃です。