赤坂見附で行われたアメリカ留学説明会に行ってきた。

アメリカの大学院と日本の大学院はこんなにも違うのか,と思った。

 ただ、アメリカに行くのは時間的にも金銭的にもかなりの投資が必要で、しかも現地人でもドロップアウトするようなきつい道のりだという。

 日本で安穏と暮らしていてはダメだが、アメリカに行ってひたすら付いていくのに精一杯というのもどうなのだろうと思った。

 どちらがやりがいがあるのか。


 それとは別に、悩む方法というのを今日聞いてきた。
 紙に書くといい。

 単純なことだが、書いたことは動かないので、堂々巡りになるのを防げるという。

 書くということで、ついでに、だが、買った本は書き込みをすることで生きるという記事を読んだ。

 今まで、読んで疑問に思ったことなどすぐ忘れてしまっていたが、書き込みを見ることで後で思い出せる。注目する点もわかる。

 帰りに本屋に寄った。出先にいくと何か変わった本がないか、つい立ち寄ってしまうようになった。

 今日の本屋は実に興味深いものがたくさん置いてあった。
 
ダグラス・R. ホフスタッター, Douglas R. Hofstadter, 野崎 昭弘, 柳瀬 尚紀, はやし はじめ
ゲーデル、エッシャー、バッハ―あるいは不思議の環 20周年記念版
 前から欲しいと思っていたゲーデル、エッシャー、バッハを購入。6100円とやすくはないが、人工知能にかかわる研究をしている人には必読の書ということで何人もの研究者にお薦めされている本なので抑えておきたい。長大である。

 そのほか、
村上 春樹, 吉本 由美, 都築 響一
東京するめクラブ 地球のはぐれ方
 なんて本が目に止まった。村上春樹のエッセーは面白い。文体が軽く、小説の詩的で淡々とした感じではなく、軟らかい口調でのんびりとムムムと思うことを言う。記念すべき一回目は名古屋について。
 しかし、なんとなく買わなかった。娯楽は後回しでいいのだ。

そのほかに、
船戸 与一
河畔に標なく
 これは、先日読んだミャンマーの柳生一族の双子の本だ。ミャンマー柳生の著者の高野氏は船戸氏のミャンマー取材に同行してミャンマー柳生を書いた。一方、本来の取材者としていった船戸氏が書いたのが「河畔に標なく」だ。ミャンマー柳生でも触れられている。
 冒頭部だけ読んだが、高野氏の気楽っぷりからはかけはなれてシリアスな始まりだった。買いたい衝動に駆られたが、これも我慢。

一度は買おうと思ったものに
R.P. ファインマン, Richard P. Feynman, 大貫 昌子
困ります、ファインマンさん
がある。ご冗談でしょう、ファインマンさんは古本屋で見掛けたのですかさず確保したが、続編のこれはまだ読んでいない。欲しい。

すこしまじめな本として
松岡 正剛
複雑性の海へ―生命から社会まで 12の扉
をすこし読んだ。1994年と古いが12人の研究者がさまざまな分野の複雑系にかかわることについて書いている。複雑性について視野を広げるにはよいと思った。しかし、買う程のものなのか、疑問に思った。大学にあれば、大学で読めばいいや、と大学のOPAC(図書館蔵書検索システム)にi-modeからのアクセスしてみた。そしたら、検索できなかった。確認してみたら、i-modeからGoogleでたどったURLは古かった模様。新しいURLを打ち込んだらいけた。教養の図書館か電気系の図書館にしかないのか。遠いなぁ。電気系はなんか借りたくないし。うーむ。

それから、題名は忘れたけど、ネットワークの性質に関する本が二冊ほど。一冊はバラバシっぽい感じ。てか、焼直しじゃないかと思ったがどうなのだろう。もう一冊はスモールワールドに付いて。ちょっと専門チックだった。

 読みたい本はたくさんあり(娯楽に傾いているのはどうかと思うが)、時間は有限だ。うまいこと読書をする方法を見付けないといけないな。独学の方法拾い読み、斜め読みは必然なのかもしれない。論文とか、本をどうやって管理するといいんだろうな。この自分のPCにデータベース作っていれるのか。めんどいなぁ。

 今日の進捗はジョン・サール博士のMiND 心の哲学を133ページまで読んだ。
 二元論の限界と唯物主義の系統が概観できた。が、議論が一方的で前提知識無しには読みづらい。読んでいて、ロボットを身体性のキーワードでやっていく必要はあるが、それで十分ではない、という気がしてきた。新しい研究の糸口になるといいが。