この国のエネルギーの基本を原子力に置くべきではないと私は思います。
地震・災害で、いったん暴走してしまったら、今の人間の科学技術ではとても制御出来ない状態に陥るからです。
暴走した技術のマネジメントの技術が現在、ほとんど開発できていません。
様々な謎は未解明なまま。そして核廃棄物の最終処分問題についても未解決のまま。
そのような状況から、原発を限りなくゼロを目指していかなければならないと私は思うわけです。
テレビの原発問題の特集を見るたびに、多くのみなさんの犠牲的そして英雄的な行動に頭が下がります。
とくに吉田昌郎・元東電原発所長にはご冥福をお祈りするばかりです。
しかし、本質的な問題である、核燃料廃棄物の暴走は、なぜ止められなかったのかといったことについては、未解明なままです。
最近読了した圓山翠陵著の「小説FUKUSHIMA」(養賢堂)は、私のような科学情報に疎い門外漢でも、わかりやすいように書かれた本ですが、それでも何度も読み直さなければ本当の理解ができないような難しい本でした。
著者の圓山重直さんは東北大学の教授で紫綬褒章の受章者です。
先日、お酒を酌み交わしながら、ご本人と懇談する機会があり、直接この本をいただいて、わからないながらも、この本を懸命に読みました。
多少理解できたのは
1 燃料棒は、冷却水から頭を出した瞬間から、超高熱を発するようになる。
その結果、水を酸素と水素に分解する。
2 水から頭を出した燃料棒は、メルトダウンする。
3 燃料棒入っている原子炉の圧力容器は20センチの鋼製で300℃で83気圧まで耐えられる。原子炉を囲む格納容器は140℃で4.3気圧(1号機)か3.8気圧(2,3号機)まで耐えられる。
4 消防ポンプは、気圧でいえば、5気圧くらいで、原子炉・格納容器の気圧が、これ以上高くなると、水は入らない。
などのことですが、まだ自分自身よく整理できていません。
圓山先生の著書では、この20センチの鋼製の炉心が亀裂を生じたことが指摘されていたり、亀裂が生じて内部の気圧が下がった結果、やっと消防ポンプから水が入るようになったり、様々なことを新しく知ることができました。
またFUKUSHIMAプロジェクト委員会がまとめたFUKUSHIMAレポート
によれば、全電源喪失でも冷却装置は1号機では8時間程度機能し、2、3号機では20時間以上機能していたはずで、動いている間に海水を入れれば、核燃料の暴走は止められたはずで、廃炉を恐れてこの決断をしなかった東電執行部の刑事責任を指摘しています。
いづれにしても、原発の問題についての解明はまだ始まったばかり。
もっと徹底した解明を、国会は全力を挙げて行うべきではないでしょうか。