【鷹爺のつぶやき】

柳井 剛(やない つよし)の自己紹介

柳井 剛(やない つよし)です、自己紹介させて戴きます。

私は今年で82才です、

島根県津和野町大字溪村45の5地に生れ。

島根県立江津工業高等学校を卒業し、

北九州の当時の八幡製鉄所第五製鋼部転炉係に作業員として入社しました。

当時バブルの最盛期で製鉄所も次々と新工場の立ち上げが有り、私は八幡製鉄所→戸畑製鉄所→大阪堺製鉄所→千葉木更津製鉄所→千葉君津製鉄所と転勤が続きました、

創価学会入信は、戸畑ですが活動の最盛期は大阪堺~千葉木更津です、

男子部班長として戦いました、

「我こそは世界の救世主」なりと、常勝関西の真っただ中を戦って来ました、

そして千葉の木更津製鉄所で会社を辞め小さな大栄鉄工所(機械加工)なる有限会社を友と設立しました。

家内は江川食堂と言う小さな食堂(居抜き)を借り営業しました、近くの千葉江川駐屯部隊(自衛隊)のお客さんが沢山来てくれ繁盛しました。

しかし私の会社大栄鉄工所(中古旋盤5台の小さな加工修理工場)の方がバブルがはじけ次第に仕事がなくなり倒産に至りました。

そして色んな会社マツダ広島東洋工業・日産自動車下請け工場・運送会社と転々としたあげく、

家内の里、今の福岡県豊前市にたどり着いたと言う事です、

家内には最大の苦労を掛けっぱなしです、詫びのつもりで家内の親族兄弟の多いここで生涯を暮らす積りです。

昔男子部で家庭や地域会社を置き去りにした詫びです、

家内は現在、私の男子部班長当時以上の地区副白ゆり長として戦っています、

この度の任用試験も地区受験者4人の勉強会を毎晩やりきり全員合格となりました。

※ 写真は私の男子部班長の時(約50年前)の池田先生との永遠の誓いの班長撮影会(東大阪布施体育館現アリーナ)で撮ったものです、(私は最後列から2列目の向かって左から5人目です。

立っているの画像のようです

4あなた、幹一百田、すギやマ ゆウぢ、他1人