〈ターニングポイント 信仰体験〉 入社1年目の君へ2022年5月12日

  • 今いる場所でベストを――。想像もしなかった結果が待っているから

 2019年(令和元年)――。只野幸一は焦っていた。

 世界有数の外資系IT企業の営業職として働き始めて1年。研修期間を終え、いよいよ独り立ちしたものの、結果が思うように出ない。

 お客を前に、懸命に自社製品の良さを語るも、手応えはさっぱり。それどころか、どうも話がかみ合わない。初めこそ“負けるもんか”と意気込み、自分で自分を鼓舞していたが、次第にお客の元へ向かう足が重くなる。

 “これまでの努力は、何だったんだ”。自分のふがいなさが悔しかった。

 創価大学を卒業して現在の会社に就職した。すぐに広島県の営業所へ。当初は新しい環境になじめず困惑したり、同僚たちの優秀さに自信を失いかけたりもあった。

 それでも創大出身の誇りを胸に食らいつき、気付けば全国トップの成績で研修を終えることができた。自信はあった。期待も背負っている。“それなのに”――。

 研修と実践では、こうも違うのか。自分のやり方が全く通用しない現実に、焦りだけが募っていく。空回りしているのが自分でも分かった。

 つい自分を卑下してしまう弱い命が顔をのぞかせる。「僕には営業は向いてない」。実家の岡山にいる母・里恵さん=圏女性部長=に電話をかけた。母は黙って話を聞いてくれ、「祈ってるよ」と。叱るでなく、諭すでもなく、ただ一言が心に染みた。

 机にしまってあった聖教新聞の切り抜きに手を伸ばす。創価大学の卒業式に寄せられた池田先生のメッセージ。苦しい時、何度も奮い立たせてくれた幸一の原点だ。

 「『さあ、何でも来い!』と一念を定めた青春の魂は、試練の中で、生命の器を大きく広げ、やがて偉大な民衆への貢献を果たせるのであります」

いつも手元に置く卒業式の紙面。池田先生への誓いや両親、学友への感謝を思い出させてくれる

いつも手元に置く卒業式の紙面。池田先生への誓いや両親、学友への感謝を思い出させてくれる

 朝の真剣な唱題から始めた。会社に向かう道中でも、心の中で題目を唱える。始業の1時間前には出勤し、その日の準備をしながら、出社してくる人に元気にあいさつ。それが今の自分にできるベストな気がした。

 男子部の会合にも積極的に参加した。そこには「社会で実証を」と、もがきながら戦う仲間がいた。彼らのひたむきな姿を見て思う。

 “学会活動に励む姿勢は、仕事への取り組み方に通じている”。悩みが解決したわけではない。それでも前に進む勇気をもらった。

「本当に人に恵まれてきました」と只野さん。いつも男子部の仲間に勇気をもらっているという

「本当に人に恵まれてきました」と只野さん。いつも男子部の仲間に勇気をもらっているという

 「その国の仏法は貴辺にまかせたてまつり候ぞ」(新1953・全1467)。会社社長として社会の第一線で活躍する壮年部の先輩が教えてくれた御文。

 「只野君が広島に来たのも何かの縁だ。ここに君だけの使命が必ずあるんだよ」

 思えば、どこか周囲と比較し、環境のせいにしていた気がする。“自分の可能性を信じて、精いっぱいやろう。何でも来いだ!”。そう腹を決めた瞬間、仕事への恐怖心が消えた。

 祈り方にも変化が表れた。御祈念項目が、より具体的に、より細かく焦点が絞られていく。数が増えるにつれ、祈りが深まるのを実感した。

 仕事の光明はある日、ふいに訪れた。事業部長と一緒に営業先へ行った帰りのこと。

 部長が、「只野、自分の言葉で話してるか」と。

 ハッとした。気持ちばかりが焦り、どこかで聞いた言葉を並べ立てている自分が目に浮かぶ。そこには相手に寄り添う気持ちが欠けていた。

「部署異動で広島弁から英語に変わりました(笑い)」と只野さん。“人のため”を胸に、さらなる飛躍を誓う

「部署異動で広島弁から英語に変わりました(笑い)」と只野さん。“人のため”を胸に、さらなる飛躍を誓う

 それからは、営業先の企業理念から、ここ数年の業績や経営計画、さらには業界全体のことに至るまで調べ上げた。どうしたらお客のためになるのかを、とことん追求した。

 すると、それまで思うようにかみ合わなかった会話が、弾むようになった。「必ず御社に貢献できます!」。扱う人の側に立った、徹底した事前の準備が、自分の言葉に自信を持たせてくれる。

 そして2年目の終わりに、飛び込みで訪れた新規の会社で、大口の案件が形になった。御祈念帳を見返すと、全て願った通りの結果だった。

 それからは営業成績を順調に伸ばしていった。「只野さんなら信用できる」「よく考えてくれてるね」。お客の反応が目に見えて変わっていった。そして3年目、最年少で社長賞に輝くことができた。

 昨年、広島から東京の本社に異動となり、新たな職場で奮闘している。

 広島を離れる時、取引先の社長が「只野君は息子みたいなもんだ」と言って、盛大に送り出してくれた。

 今年の入社式。5年目を迎えた幸一は、何百人という新入社員を前に、代表であいさつに立った。

 「やりたくない仕事や、理想と違う現実もあるかもしれません。ただ自分自身の可能性を信じ、今いる場所でベストを尽くすことを心掛けてみてください。いつしか、努力の先に想像もしなかった結果が待っていると、私は確信しています」

家族への思い

 幸一の心には、常に家族への感謝がある。父・孝幸さん(64)=副圏長、母・里恵さん、弟・正幸さん(25)=男子部員。壁にぶつかるたび、いつも寄り添い、背中を押してくれた。

父・孝幸さんと母・里恵さん(本人提供)

父・孝幸さんと母・里恵さん(本人提供)

 創価大学は両親の夢だった。幼い頃から、池田先生のこと、創大のことをうれしそうに話す姿に、自然と信心の偉大さを学んだ。

 母は入学式で「人生最高の一日だったよ」と言ってくれた。その笑顔は今も忘れない。親孝行の人生を誓った。

弟・正幸さん㊨と只野さん(本人提供)

弟・正幸さん㊨と只野さん(本人提供)

 関西創価学園から医学部へと進学した弟は、この春から夢だった医師としての道を歩み始めた。照れくさくて言葉にはしないが、頑張る弟に兄として何度、力をもらったか分からない。

 支えてくれた全ての人への恩返し。これが幸一の前進の原動力。

 ただの・こういち 1995年(平成7年)生まれ、入会。岡山県出身。東京都文京区在住。創価大学を卒業後、世界的な大手外資系IT企業に営業職として就職。3年目には最年少で社長賞に輝いた。男子地区副リーダー。

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