〈生きるよろこび 信仰体験〉 再発する肝臓がん、白血病2021年6月13日

  • 攻めの祈り わき立つ誓い

 【東京都武蔵村山市】その人は、生と死の攻防の渦中にいる。それでも、不安や緊張感を周りに与えないのは、加羽澤範明さん(62)=副区長=からにじみ出る優しさ、強さが勝っているから。7年前、肝臓にがんが見つかり、翌年には急性骨髄性白血病を発症した。そして再発。しぶといがんを“攻め”の闘魂で制している。

余命宣告

 「肝臓にがんがあります」
 そう告げられたのは、2014年(平成26年)1月のこと。

 30代で発症したC型肝炎が原因。肝硬変、肝臓がんになる可能性が高いと説明されていた。インターフェロン治療を行ったが、効果は見られなかった。

 “この日”が来ることは覚悟していた。自分の生命が揺らぐのが分かる。御本尊の前に座り、心の中の臆病をたたき出した。

 まずは、3センチの腫瘍をラジオ波で焼く「ラジオ波焼灼療法」を。続いて、肝動脈への血流を止め、その動脈にカテーテルで高濃度の抗がん剤を流し、血管をふさぐ「肝動脈化学塞栓療法」を行った。一時はがんを抑え込んだが、翌年2月に再発。2度目の肝動脈化学塞栓療法を行った。

 8月、近隣の夏祭りに顔を出している時、激しい悪寒と倦怠感に襲われた。翌日、病院へ。検査結果は「急性骨髄性白血病」。血小板の数値(正常値は15万から35万)が、1万を切っており、危険な状態だった。

 “えっ、白血病? 肝臓がんじゃなくて……”。頭の中が真っ白になった。

 すぐに入院となり、抗がん剤治療を行った。翌日には、副作用が。まぶたは腫れ、目の周りは殴られたように赤黒く変色。懸命に耐えた。

 5日後、医師の言葉に絶句した。
 「今後も抗がん剤治療を続ける必要があるのですが、肝臓の機能が弱っており、これ以上、治療はできません……」と、緩和ケアを紹介された。

 途中から、説明が耳に入らなくなった。医師が去って、一人、白い天井を見つめた。

 “もう治療ができないなんて。俺はもう死ぬのか……”

「入院中、妻と子どもたちが一緒に祈って支えてくれました。顔付きも頼もしくなって、うれしい」と加羽澤さん(右から長女・麻希さん、妻・明子さん、加羽澤さん。長男・拓也さんと孫・一花ちゃん、長男の妻・夏希さん)

「入院中、妻と子どもたちが一緒に祈って支えてくれました。顔付きも頼もしくなって、うれしい」と加羽澤さん(右から長女・麻希さん、妻・明子さん、加羽澤さん。長男・拓也さんと孫・一花ちゃん、長男の妻・夏希さん)

一進一退

 唱題しても、聖教新聞を読んでも、全て頭をすり抜けていく。今まで築き上げた信心の確信が、崩れていくような気がした。

 “もう考えることもつらい。この場から逃げ出したい……”

 そう思った時、妻の明子さん(59)=支部副女性部長(地区女性部長兼任)=が「私があなたを死なせないから。私が絶対に守るから大丈夫」と、手を握ってくれた。

 結婚を機に、信心を教えてくれた妻。父から継いだ「三友印刷株式会社」を共に守り、夫婦二人三脚で、幾つもの苦難を乗り越えてきた。

初代である父から継いだ「三友印刷株式会社」は明年、創業50周年を迎える。工場の全焼などの苦難も、地域の人たちに支えられ、乗り越えてきた(右から加羽澤さん、長男・拓也さん)

初代である父から継いだ「三友印刷株式会社」は明年、創業50周年を迎える。工場の全焼などの苦難も、地域の人たちに支えられ、乗り越えてきた(右から加羽澤さん、長男・拓也さん)

 たとえ医師がさじを投げても、治療できる病院がないか、加羽澤さんの妹と一緒に探してくれている。けなげな妻の姿に胸が熱くなる。同志もまた、たくさんの励ましを送ってくれた。

 “そうだ、心まで病に負けちゃいけない”

 その決意を手紙に書き、受け入れてくれそうな病院に持って行ってもらった。

 <私は創価学会員です。日々、信仰で磨いた満々たる生命力で、病に立ち向かいます。生きたい、生かしてください>

 病院が見つかった。「治療はします。ただし、この1カ月が勝負です」と告げられた。それでも、前に進めたことを夫婦で喜び合った。

 転院してすぐに、抗がん剤治療が始まった。副作用で、倦怠感や吐き気、激しい頭痛に襲われる。髪の毛は全て抜け落ち、何を食べても味がしなくなった。敗血症を起こし、生死の境をさまよったことも。入院は半年間に及び、ついにがんは消えた。

 体調が回復すると、同志と学会活動に歩いた。「励まされた分、恩返しがしたかったから」。地域行事の運営にも携わった。だが、16年に肝臓がんが、18年には白血病が再発する。

 医師は、造血幹細胞の自家移植を提案した。大量の化学療法を行った後、あらかじめ採取・保存した自身の造血幹細胞を点滴で体内に戻す治療法。

 副作用は想像を絶した。逃げ出したい衝動に絶えず駆られる。闇が心を覆っていく。

 ボイスレコーダーに録音した家族との題目を聞き返した。その声に合わせて、病室で一人、心で唱題した。同志もメールなどで「つらい時は休んでください。私たちが、その分まで祈っていますから」と。ふつふつと闘志が湧いた。

 「死は怖いし、命は惜しい。やり残したことだってたくさんある。だから、もし命が延びたら、何に使うのかって考えた。頭をよぎったのは、池田先生と初めてお会いした日のこと(1988年7月5日)。あの優しいまなざし。思い出したら涙が出た。『先生、勝ちます』って言ったら命が震えた。先生のことをもっと語りたい。そのために生きますって祈った」

 一進一退の攻防が続いた。“攻め”の題目を貫いた。抗がん剤に耐えた後、移植が始まった。ベッドに横たわりながら、点滴の一滴一滴に祈りを込めた。再び、がんは消えた。

本気の信心

 病との闘いで、身読できた池田先生の指導がある。

 「病魔を恐れず、侮らず、戦い挑む『強い信心』が、仏界を力強く涌現させるのです。病魔の『挑戦』に対し、『応戦』していくのが、私たちの信心です。病気になることが不幸なのではありません。病苦に負けてしまうことが不幸なのです」

 後遺症で、足の裏には違和感があり、力が入らない。相手の声も聞き取りにくい。それでも、病と闘う友がいると聞けば、訪ねるようにしている。

 何か特別な言葉を掛けるわけではない。相手の話に、じっと耳を傾ける。病と闘っている“この瞬間”に、そばにいてくれる。そのことが、何よりの励ましになることを知っているから。

 がんが転移したら「治療できない可能性が高い」と医師に告げられている。そうした中、本年2月、肝臓がんが再発。8度目の肝動脈化学塞栓術を行った。

 「がんとの勝負は、毎日続きます。休みがない。一瞬でも油断したら、奪命魔にのみ込まれる。負けないために、どうするか。攻めて、攻めて、攻め続けるしかない。生きて、生きて、生き続けると決めて祈るしかない。日々の仕事や学会活動で、もう一歩、前へ出ること。それが、本気の信心なんだと実感できたこと。病になっての一番の功徳です」