級友の林君と連絡をとりあいました。

 

彼も恩師ご夫妻が「媒酌人」でありました。

 

若き日の思い出は、汲めども尽きぬ泉、の如しであります。

 

それから人生の充実期に至り、恩師は母校の野球部長に就任し、古豪復活と民主的部活動運営に尽力し、生徒・ОB、久しき宿願であった甲子園出場を果たされたのです。

 

母校および野球部「100年史」刊行は、先生の執筆・編集によるところ大なるものが、あると思います。

 

卓球、囲碁はかなりの腕前であり、酒豪であられました、平和・教育運動においては終生、不撓不屈、揺るがぬ信念を貫かれました。

 

晩年の恩師への敬愛の念浅からずも、雑事に忙殺され、疎遠になりがちでありました。

 

そして、このたびのかくも哀しき訃報に接し、恩師・阿部光博先生の魂魄、安らかならんことを赤心、祈りたいと思います。

 

(「梅雨明けを 待たずに恩師 旅立ちぬ」 齢(よわい)を重ねた恩師の遺影はとても穏やかでした)