イエス・キリストの研究書、キリスト教へ対する熱心な信心からくる感想文

 

山本七平の「空気の研究」からはまってこ本を読む。

 

ボリュームが短いから3時間ほどで読了

 

キリスト教への目が覚めるような解釈というよりは、当時の状況などを詳しく調べたキリスト教理解へのガイドブック

 

「自分は正しい、そう信じている人にもイエスは見えない。

 同時に、神は律法を超えてイエスの口から語りかけたとは信じられず、神の律法に従うことで、逆に「神にもできないことが」あると無知無理解のうちに信じ込んでしまった人にもイエスは見えない」

 

この本の中に上記の一文があります。

 

キリストの言ったことを信じてどう解釈していくか。

 

2000年前からキリストは愛を教えてくれているのに私は自分勝手に都合よく解釈して使っていないだろうか。

 

ラインホールド・ニーバーとが語った引用文から

 

「我々が遠慮なく真理を語っている時は、相手に憎しみを持っている時か、全人類的な愛情を持っていない時だ

 

人が正義を口にするとき、正義の側に立って告発するとき、その背後にあるものが実は増悪であって「愛」ではないという恐るべき事実の指摘がある」

 

という、ものがあって

 

「愛を持って語ったか?」という宗教の大きな宿題をキリスト教は私たちに出題

している。

 

キリスト教のテーマは「愛」と「死」の二つがある。

 

死を愛で救うのが「復活」

 

人が生を自覚すればするほど、死の恐怖の奴隷になっていき、この主人が目の前に現れれば人はすぐさま恐怖して、それに服従する。

 

死の支配を克服しない限り、人間に「自由」はない。

 

じゃあ「復活」てなんぞ?

 

キリストは十字架にかけられて、死んだ3日後に生き返っています。

 

死を克服した→死の支配に勝った!

 

その物語を事実として信じてみよう、そうすれば死の支配から私たちも解放される。

 

復活したキリストに会って、それを知り、かつ信じた者には解放があり、神の下の自由がある。

 

この本にはそう書いてあるけども、私もまだまだわからんことしかないです。

 

うまく理解できてないで。

 

現世利益はくれないのがキリスト教なので。

 

イエスの人類への贈り物。

 

それはこの「愛」の感覚である、死の深淵を超えて飛翔する「愛」の力であるとは思いう。