今日読んだ本はこれです。

 

 

 

佐藤優さんは鈴木宗男さんが捕まった時に一緒に捕まった元外務省の人で、退職した後は文筆業に移った人です。

 

めっちゃ頭いいです。

 

キリスト教をベースにした人でキリスト者の視点で語っています。

 

この本ではキリスト教、マルクス主義で現代のストレス社会についての提言を書いています。

 

 結論から書くと、

 

     私とは、私とそれを取り巻く環境である

     「私」は心を持っている自分自身と自分を取り巻いている環境の2つの総体

    であり相互作用だ。

 

ということだから

    

     自分自身の内面を強くしていくこと

     自分を取り巻く環境を変えていくこと

 

です。

 

 これより後は補足説明です。

 

1 ストレスの原因

 現代は新自由主義の世界です。

 頭がいい人が勝負で勝つ、資本主義の激烈競争社会。

 そこでは一回転落すると這い上がることが難しいのです。

 受験勉強とか、就職活動、起業で失敗すると巻き返すのはハードだったりします。

 

 そりゃあ、優秀な人からすれば何度でもチャレンジできますよ。

 

 でも大多数の普通の人からすると、会社に入れば終身雇用で、庭付きの家が買えて、子供を大学まで出すことが、なんとなく無理なんじゃないかしら、っていう悲しい空気感が日本に蔓延してますよね。

 

 自分には競争を勝ち抜くのは無理ゲーだよ(T ^ T)

 

 て思っている人ってすっごく多いと思います。

 

 そんなことねーよ!もっとがんばれよ、努力しろよ、成功するまでチャレンジし続ければ絶対に成功するんだって(陽キャラ)

 

 ってことをスマホの中でYouTuberがひたすら叫んでおります。

 

 それを間に受けるとメンタルをやられます笑

 

 競争競争の毎日で私たちは確実に疲れてます。

 

 競争で負けた人、それで貧乏になって犯罪に手を染めた人を見て、私は、

 

   「勝手に1人で死ね」

 

と胸の内で暴言を吐いたことは数知れずです。

 

 これは暴言です。とっても下品です。

 

 弱い人間、負けた人間、社会の役に立たない人間はどうなったとてかまわない。

 

 そんな人間に関わってる余裕はないと考えるのは勝手な勝者の理論です。

 

 他人に対する想像力を一切拒絶した冷酷さしかありません。

 

2 引きこもり問題

 2019年3月の調査では日本に

 

 40歳から64歳の引きこもりの数 61万人

 

 15歳から39歳の引きこもりの数 54万人

 

の部屋から出れなくなっちゃった人がいます。

 

 めっちゃくちゃいます。。。

 

 これが80ー50問題っていうそうです。

 

 大人の引きこもりを老人が年金で世話しているんです。

 

 親が死んだらその人たちは生きていけません。

 

 家を捨ててホームレスになるしかないんです。

 

 その数は30万人くらいが生活困窮者として街にあふれてくるんです。

 

 その人たちに「勝手に1人で死ね」って言っちまう世界って、かなりの地獄ですよ。

 

3 引きこもりが起きる構造

 社会構造が、特に若年労働者が

      正規雇用

      非正規雇用

の2つに分断されたこと。

 社会組織の中で、上下左右の繋がりが薄れ、それぞれバラバラになったこと。

 

 があります。

 

 バラバラな個人が就職で都市部に集合して生まれたのが「大衆社会」です。

 

 私たちは大衆社会に暮らしています。

 

 大衆社会は広告とマスメディアの発達で大量消費社会を形成し、資本主義に爆進しました。

 

 就職するときに、今までいたコミュニテーから引越しとか通勤のために離れますよね。

 

 そこで「会社」に受け入れられたのです。

 

 日本式経営、家族主義、年功序列、終身雇用、、、

 

 会社に忠誠心を持つような働き方。

 

 今は懐かしいくらいの社会。

 

 一見面倒くさそうなこれらのものが、実は良かったんじゃないか???

 

 今はそういう働き方がなくなったおかげで自由になりました。

 

 でもそれと引き換えに孤独と不安感に直面することになりました。

 

4 自己責任論

 自己責任という言葉が叫ばれるようになってどれくらいたったのか。

 

 「自己責任」とセットで「努力」という言葉が出てきました。

 

 その2つが合体して「自助努力」という言葉がはばを効かせ始めました。

 

 そのせいで、「ワーキングプア」というものが理論的に正当化されてしまいました。

 

 「だって、努力しなかったもんね」って。 

 

 自己責任ってうまくいかなかったら、「自分が悪い、自分を責めろ」ってことです。

 

 なんでも他人とか周りの環境のせいにはできないですけど、勝者は1人というルールの下でフェアに戦わせたら、絶対に勝てない人がいっぱいいることを私たちは知っています。

 

 小学校時代に嫌というほど身に染みます。

 

 正社員になれなかったら、自分の努力が足りないんだって思うのは勝手だけども、やっぱりメンタルをズタズタにされます。

 

 「責任とは自由意志に基づいて行動した結果に対して、その本人が他者に対して説明し、しかるべき対応をすること」というのが近代以降の「責任」の考え方です。

 

 私たちに自由意志に基づいた行動を取れるチャンスってどれくらいあるんだよ、って思います。

 

 責任という概念と自由という概念は繋がっていますが、そこに「努力の有無」はまったく関係ないはずでしょう。

 

 努力は本人が自主的、主体的にするものであって、第三者が努力を強制する権利はありませんし、努力をしなければいけない義務も存在しない。

 

5 働くってなんだべ

 この本ではマルクス主義を使って説明していますが、

 

      資本家 生産手段を所有している人

      労働者 労働力を商品として資本家に売るしかない人

 

としたとしたら、経済の原理として、資本家は労働者を商品として扱って、できるだけ安い賃金で働かせようとしますよね。

 マルクスさん的にはこの構図を「搾取」と呼びました。

 つまり、労働者の給料は会社の社会活動の利益の分配ではなくて、資本家が労働者から労働力という「商品」として購入した「代金」に過ぎないと。

 

 サラリーマンとして雇われて働くことに「自由」があるか。

 

 自由がないところに責任が発生するか。

 

 自己責任論は立場が強い人間が本来とるべき責任を、自由度のない弱い立場の人間に押し付ける「責任転嫁論」になってやいないだろうか。

 

6 責任とか自由とか

 キリスト教の立場からすると、

      キリスト教では人間は堕落した存在であり、到底自由を与えられるべき

     存在ではない。

      自由がもともと与えられていないのだから「責任」など人間は最初から

     ない。

      自分のしたことに対して「責任を取ろうと考えること自体が、愚かで不

     完全な人間の傲慢である。

      なら、人間が犯した罪の責任は誰が負うのか?

      それは人間を作り出した神が自ら負う。

という考えだそうです。

 絶対的な神の存在としての宗教が孤独や不安を和らげる力になっていたんですて。

 今までこんなふうに考えたことなかったから新鮮です。

 神様という宗教的権威が世界の中心であった中世の論理は、近代以降の合理性重視の時代の論理とはかけ離れた部分があります。

 けど、こういう温故知新の考え方って新しいアイディアを産みそうだから研究してみよう。

 

7 まとめ

 コミュニティーに入って孤独を避けること。

 下品な人とつるまないこと。

 心が危ないと思ったら「逃げる」こと。

 仕事から離れて「休む」こと。

 あえて「戦うという土俵に上がらない」という選択をすること。

 

 他人を傷つけることをよしとしない、上品な生き方をしてもいいじゃないか。