こんにちはyanagi(Big Spoon)です。 (・∀・)
前回の記事で書いたように、励ましのコメ頂いてありがとうござ
いました。
(福助さん)
皆さんから頂いた温かいお気持ちを胸に、ブログ記事更新に邁進
していく所存であります(ビシッ)
*:..。o○☆゚・:、。*:..。o○☆゚・:、。゚・:、。★゚・:、。゚・:、。☆*:..。o○☆゚・:、。*:..。
さて、「自己(セルフ)」について縷々書いてはきましたが、今
になって私は一つの懸念を抱いています。
どういうことかというと、「自己(セルフ)」元型には誰でも取
り組めるし、十全に我が物にしうるし、またすべきだ、などとい
う考えを私は煽ってしまったのではないか、という懸念です。
ガ━━(゚д゚;)━━ン!!
こう書いてこれば、みなさん『エ~、違うの~』と思われたかも
ですね~。
実はこれと同じようなことが、有名なE・H・エリクソンにおけ
る人生の発達段階説や、マズローの欲求段階説でも頻繁に生じて
しまっています。
これらに共通して起こっていることは、あって当たりまえ~のも
のとみなしてしまうということです。
ユングの分析心理学における「自己(セルフ)」元型に、E・H・
エリクソンの漸成説における「英知(wisdom)」にしろ、マズロー
の欲求段階説における「自己実現の欲求」や「自己超越の欲求」
にしろ、獲得したりクリアしたりすることは、できて当たり前と
考えられてしまっていたりします。
でも、ホントーにさうなんでせうか。いみじくも、そう考えられ
ていとおかし・・・
なんてわけで次に続きま~す。。
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