大柳町山車の歴史 | 青梅大祭へのカウントダウン

青梅大祭へのカウントダウン

アラフィフおやじの他愛のない話

今日は大柳町の山車の歴史をご紹介します
 
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 大柳町の山車は元々は青梅市仲町のものでした。
現在、仲町に保存されている”静御前”の人形が乗っていたもので明治の中頃に製作されたものだと推測されています。
今現在もその名残りとして山車の台輪には「仲両」の文字が彫刻されています。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

イメージ 1 明治44年、市街地に電線が引かれるようになったことで人形が降ろされ、現在のような屋台型の山車になりました。
 
 
 
 昭和3年頃、昭和天皇即位を期に、仲町が山車の新造をすることになり青梅市下長渕に譲られることになりました。
 
 
イメージ 3 昭和25年に大柳町で住吉御祭礼時に山車を曳きたいと言う青年団の申し入れがあり、自治会としても若い者の気持ちを受け入れ、長老を交えて下長渕に伺い交渉の結果、山車を借用する事となり初めて山車を曳いたということです。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
イメージ 4 昭和58年に下長渕が山車を新造することに伴い売りに出された山車を購入。
 その際、欄間に静御前の山車人形に合わせ鎌倉鶴岡八幡宮での舞にちなんで”彩色の姫子松の岡”が彫られている物であったが、改装時に取り外され新しく”鷹の図”に変わりました。
取り外した欄間は清宝院に奉納されています。又、この他にも改装時に囃子座を広くしました。
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
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 平成20年には同年9月14日に行われた柳連有史60周年・歯元有史20周年記念行事に合わせて柱や欄干等の塗り直し、”草薙の剣”、”八尺瓊勾玉”、”八咫鏡”を新規に作り直す等の改装作業が行われ現在に至ります。
 
 
 
 
 
 
 
    
 しかし、近年老朽化が著しく安全不安から修繕の方向で話が進んでいるところではありますが、これだけ歴史のある古い山車ですから、出来る限り大事に使っていきたいと改めて思うところであります。
 
 
 こんな古くてボロい山車ではありますが
今年も元気よく市内を練り歩きますので
どうぞその辺を踏まえて注目していただければ幸いです
 
青梅大祭まであと26日
 
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