高校時代のバスケット部のOB会があった。

毎年5月に開催されており私はほぼ毎回参加している。


当時顧問だったF先生を囲む会から発展し、S王会(Sは先生の名前で王は高校がある地名の一部)という反社集団のような名称の会費をもとに運営されている立派な組織。

F先生は地元の国立大学を卒業後、保健体育の新任教師として本高校に着任して、そのまま自分が競技していたバスケットボール部の顧問になった。御年ことしで84になられる。

その教え子たちの集まりがS王会の会員で、一番年上の先輩方が先生とは5つ違いとなる。

我々の年代の下にも教え子がいるのだが、会に常時参加しているメンバーの中では我々が一番下になっている。

だから何年経っても我々の年代は下っ端なのだ。


先生はかれこれ本高校には15年近く奉職した。

よくもまあ男しかいない高校にそんなに長く勤めたものであると今更ながら感心するし、よくもまあこんなに長くOB会が続いているものだとこれまた感心する。


会の歴史は

先生の住宅新築祝いから始まり、教頭就任祝い、校長就任祝い、還暦祝いと定年退職祝い、教育長就任祝い、古希祝い、喜寿祝い、叙勲祝い……と数々の祝賀会を重ねてきた。

そしてこの先には米寿のお祝いが待っていると思われる。

その中でも叙勲祝いでは奥様も同席され盛大に行われ、我々の年代も全員(後にも先にも全員が揃ったのはこの一度だけ)参加し、後輩たちも数多く参列した。

我々同級生は一年生当初は15人ほどでスタートしたのが卒業時にはたった6人になってしまった(そのうち2名は中学ではバスケットボールの経験のないずぶの素人で、そのほか1名はほぼ幽霊部員だった)。

その幽霊部員の高校時代の動向はOB会のときに詳細を知った~三年生になっても平日の練習はほとんど参加しなかったのは学校にもあまり来ていなかったようで、一時家出をして東京で自活していたらしく、担任教師とF先生が探して連れ戻してきてくれたという。除籍か退学か、卒業できるか否かという揺れる立場を担任教師とF先生の(鉄拳などによる愛の)指導で試合のコートに立てるまでにしていただき、この会にもほとんど毎年参加するような立派な社会人となった。

もともと社交性と生きる力がある男で、アタマがよいにも関わらず高校時代は目標をもてずにふらふらしていたと思われる。

その彼が今年は珍しく欠席となり、返信ハガキの通信欄には姉が代筆した文字で入院中につき欠席するという文面が書かれていた。コロナ禍で3年ほど開催が見送られた後の昨年のOB会では、彼のあまりの変貌ぶりに驚いた。近年は杖をついて歩くのにも難儀をしているような状態だと同級生が話していた。

F先生に彼の動向について水を向けると、先生は今でもときどき彼のところに電話をしていると言い、長時間話をしているといつも決まって彼が泣き出すと言っていた。卒業してからもう何十年も経っているのにまだ教え子と関わり心配してくれているのを知って素晴らしい先生だとあらためて思った。

こんなにも長く先生を囲む会が続いているのも当然である。


クラス会や同窓会が長年続いている事例は多いだろうが、名門校でもない運動部のOB会がこれだけ長生きしているのはあまり例を見ないのではないだろうか。




ゴデジャ


タマネギを収穫
巨大過ぎるぜ