計測の科学

人類が生み出した福音と災厄


24年1月初版 本文325ページ

福音とは、身近な環境や自分自身のことについて、その状態を数値化することで安心感を得たり、先の見通しを立てたりして、よりよく生きるための糧をもたらすことであり

災厄とは、その(基準があやしい)数値によって逆に不安になったり、とらわれすぎて見通しが立てにくくなったりすることである。


安心感や将来設計を得るには世の中や自分なりの基準が必要だが、何でもかんでも(測定によって)数値化される現代社会を生きる私たちは、その標準値によって生活が振り回される傾向にもあるようだ。

血圧140以上なので降圧剤飲まなくちゃ……明日は気温30度超えるから熱中症対策せねば……健康のために1万歩歩きましょう(1万歩が健康につながるかの根拠は怪しい)……

筋トレ回数、放射線量、テストの平均点、グルメランキング、為替レート…………

こどもの日には「43年連続でこどもの数が減少!」という(測定の記録)の結果が発表された。

日本の未来はどうなるの?


「計測の起源」というワードなら、長さ・重さ・かさなどの基準はどのようにして決められてきたのか

という素朴な疑問がまず思い浮かぶ

と思う


メートル・キログラムにヤード・ポンド、日本人なら尺貫法もある。

メートル法なら学校で習ったキログラム原器(唯一無二の大元はフランスの公文書館の地下に眠る)が脳裏に浮かぶ。メートル法はフランス革命あとのナポレオン時代に遡る。科学的お墨付きと権威づけのためにパリを通る子午線の距離(足で測ったり三角測量とか)がどうの……

ヤードポンド使用は先進国の中ではアメリカだけか(その元祖英国はメートル法に移行したが大英帝国のノスタルジーからその抵抗勢力がまだ息づいているらしい〈ちなみにヤード・ポンド原器は旧ウェストミンスター宮殿の火災により焼失。人間の身体に基づくフィートやハンドは重厚な歴史があるとか〉) 

大谷翔平選手のフォーシームが何マイルとかバスケット選手の身長は何フィート何インチとかバレルとかパイントとかパウンドとか……訳がわからん😖)


国際基準の度量衡が必要になるのは必然


現在はメートル法が広く採用されている。

科学が進んだ現在は1メートルは光が真空を299792458分の1秒(1秒とはセシウム133原子の……の9192631770倍とか)で進む距離とした(そのメートル基準により光の速度を計算するという卵が先かニワトリかみたいな)。

重さも量子力学の範疇で再定義されるもブラックボックス化している(非公表)。

ちなみに1秒もあと数年で定義が変わるらしい。


キログラム原器なら理解しやすいが、計測の世界が物理学の物差しになると実感が全くわかなくなり、私たち庶民はただそれを受け入れるしかない。

温度計の1度も歴史的に紆余曲折がある。現在は絶対零度(これ以上の低温はない)を基準にしている。


米国国立標準技術研究所が製造するピーナッツバターは170グラム入りの瓶3つで927ドル(150円換算で約139000円)するという。

このピーナッツバターはどこをすくっても炭水化物、たんぱく質、砂糖、繊維の比率や様々な有機分子や微量元素がミリ単位で同じ比率で構成されている。

この研究所では、政府や業界の求めに応じて、現在は1200種類以上もの標準物質が創造されている。

ほかにクジラの脂肪(海洋汚染の状況把握に利用)、人間の肺(意思を示した死者の肺を凍結乾燥して粉末化し体内被曝の程度を調べるのに利用)、家庭ごみ(工場などの汚染物質レベルを点検するのに利用)など


ジュネーブには国際標準化機構(ISO)があり、約22000の標準規格が提供されている。

精密機械製造のためのクリーンルームの基準から写真フィルムの速度までなどあらゆるもののガイドラインを発行している(ほかに紅茶の標準的な淹れ方のガイドラインとか)。



今日の新聞に「ご当地漬物 消滅の危機」

という見出しを見た。

今年の6月から日本の食品衛生法が改正(国際基準の衛生管理手法に沿うらしい)され、厳しい衛生基準が求められるため、生産者の多くを占める小規模の漬物業者が廃業する危機に直面するという。

いぶりがっことか野沢菜漬けとか千枚漬けとかがなくなるのかな

大企業の化学薬品まみれの漬物は勘弁してもらいたい




👴

わしらみたいなのはよ~

鳥海山の種まき爺さんみたいな基準のほうがいがっぺよ

きょうはよ~一町五畝の田んぼの代かいだらよ~1合5勺の晩酌すっぺね