関西フォークとその時代


23年10月第1刷 321ページ

関西フォーク

そのくくりとして、音楽性、メッセージ性、年齢層などが明確に位置づけられているわけではないようだ。


初めのだれかが何かをやり始め、それに同調した人々が寄り合って化学反応を引き起こす。

アメリカ発のモダンフォークや反体制フォーク(ときどき反戦フォーク)が日本の若者(時間と暇があり多感で感性豊かな世代)にうけ、模倣するようにカレッジフォークとして広まり、その地域限定バージョンが関西フォークか


その初めの人々がたとえばザ・フォーク・クルセダーズや高石友也

ザ・フォーク・クルセダーズの「帰ってきたよっぱらい」や高石友也の「受験生ブルース」ははなたれ小僧の時分にラジオから流れてきた。小さい頃に耳に入った歌はときどきラジオでしか聴かなくてもなぜかおぼえてしまう。この前カラオケで先輩からこの歌知ってるかと「受験生ブルース」をやらされたが音はずさずに歌いきったから自分ですごいなと感心した。もちろん「帰ってきたよっぱらい」も歌えます!

テレビでやる歌は音楽事務所やレコード会社を通した正統派の流行歌で、それに対して地域限定、聴く者限定のアンダーグラウンドな音楽が手前勝手なフォークソングで、ある意味カウンターカルチャーという位置づけになるだろうか?

「帰ってきたよっぱらい」や「受験生ブルース」は聴く者を完全におちょくっている。


フォークギター片手に手作りのうたを身近なところで自由に歌う……

仲間受けしていた歌が口コミで広がり……

おもしろそうだからレコードでも出してやれ……

人気を博し……同調した若者が群れをつくり……

関西方面で今までにない自由な歌がはやって……

話題は異なるが、野球も大阪を中心に発展を遂げている。リトルリーグや甲子園、大阪出身の若者が全国各地で活躍、阪神タイガースのアレやオリックスの連覇、社会人野球などなど。一種独特の野球文化があるように感じる。


そこに同志社で神学を学んでいたフォークの神さま岡林信康や庶民的自由人の高田渡などが吸い寄せられた(というよりわが道を自由にフォークソング的に生きてきた場所がたまたま関西方面だった)。

岡林信康の「チューリップのアップリケ」もはなたれ小僧の時分に、村内限定の有線電話の有線放送で聴いて、その哀愁漂うギターの音色と、貧困が家庭離散を生み出したというような内容の歌にこどもながら衝撃を受けた。自分の家も贅沢品といえるような欲しいものはいっさい買ってもらえないようなぎりぎりの生活だったから、その詩の内容が我がことのように心にとどまったのかもしれない。

もちろんカラオケで歌えるが歌うと涙がにじむ。

年端もいかないのに「山谷ブルース」とかngことば連発の歌、学生運動の鎮魂歌「友よ」などに感化されて今にいたっているのが私です(穏やかな反骨精神が育まれたのはこの時分かもしれない)。

高田渡は私の鼻がたれなくなった大人になってからその存在を知った。有名な「自衛隊に入ろう」や草むらに眠った……というような何の変哲もない詩をギター一本でやり、ときどき歌いながらそのまま寝てしまう(おそらく酔いが回って)というような仙人のようなお方で親近感がわくが、多感な青年時代はナイーブで繊細な人柄だったもよう。


フォークソングのよさは誰でも曲がつくれて誰でも歌えるところだろうか。

詩も音楽も素人っぽさがある。


そういった大衆性が文壇と交差することになるという論点が本書で言及されている。

戦後の詩がいよいよもって難解化の道(素人のような一本調子の詩は出せない、難解なことばを駆使して格調高く理解しにくくするのが一流詩人とか)をたどるに危機感を抱いた(読み手に愛想を尽かされるかもしれないという恐怖)詩人たちが、そこら辺の話題や私的事情を手軽に詩にするフォークソングの旗手たちに興味をもつのは自然な成り行きかもしれない。

前述の高田渡の父親はいっぱしの詩人だったし、渡自身も詩のようなものをたくさん書き残している。


ことばを生業にしている文学界でもフォークソングが交差点となった。

本書で取りあげられている作家は、有馬敲、中山容、今江祥智、上野瞭、村田拓、小野十三郎で、題材が庶民生活をよりどころにすることの多い児童文学が、フォークソングと交差点がより重なるのは理解できる。

この中で私が知っているのは「力太郎」を書いた今江祥智だけ。何ももたない老夫婦のたまった垢でうまれたあかたろう(力太郎)が胸のすく活躍をする物語だ。


関西フォーク全盛のころ、もし首都圏の学生だったとしたら、フォークゲリラか、ゲバルト棒を手にしないまでもデモ行進に参加するか、どちらかしていたかもしれない。

ベトナム反戦のときと同じように、今アメリカの大学ではガザ反戦デモが各地で行われているようだ。

で結局は大人に押さえつけられ人生で初めての大きな挫折を味わうことになるのだ。


あるいはかっこいいことばをちりばめた詩のようなものをつくって自己満足感を味わっていたかもしれない。

そうした「素養」(があったとして)を生かす道があったとしたら……

小学校6年生の冬休みに書いた日記が残っていた。

親の遺品を整理していたら出てきた。





12月29日(日)

きょうはとてもさむい日だった。こたつにはいっていてもさむい。どうかあたたかくなる方法はないかと考えた末、マラソンだと考えた。その時はものすごい風で、それも向かい風だ。目にごみがはいって中々すすめない。しかし、帰りはとても楽だった。家についたときは、ゆげが出るほどあつかった。そしたらちょうどおふろがわいていたのではいった。

1月6日(月)

ほんとうはきのう書くつもりだったが、きょう詩を書いた。「みかん」という題だった。みかんの一生とみかんの心を書いた。頭からスーとでてきたので一分~一分三十秒ぐらいかかった。


ギターは買ってもらえなかっただろうから、フォークソングはやらなかったと思うが




ブックレビューのはずが中身を紹介せずに

思うことを好き勝手に綴ってしまった


もしかしたら関西フォークのシンガーたちも

そうしてうたをつくっていったのかもしれない

オフコースの小田和正さんはときどき空を見上げるのが好きと話している。曲の着想も大空から得ていると思われる。

青空を見上げると空以外何もない(空気だけ)。そこからたとえば雪や雨、雷などがわいたように落ちてくる。

詩も曲づくりも何もない虚空から生み出されるのではないか。

力太郎は親の我が身の垢から生まれた。

何ももたない手ぶらな人間のもっている何かから生み出されるのがフォークソングなのかもしれない。