眠りつづける少女たち


多くの少女たちが眠りつづける原因とはなんだろう?

その医学的なメカニズムが知りたくてこの本を手に取ったみたが……


23年5月初版 本文420ページ
読み始めると、すぐに、その原因が遺伝子異常や伝染性の病原体のせいではないことが判明する。

著者は精神医学、脳神経の専門医で、「眠りつづける少女たち」と同じような症状を引き起こしている世界各地の人たちを追い、その謎の究明と理解に東奔西走している。

症状の出方は昏睡とは限らないし年齢や人種などもさまざま

専門的見地からカウンセリングマインドのスタンスでことにあたっている


本カバーの裏には大きく

人間は機械ではない

とあり


表紙をめくると

他者の経験を理解するためには、

自分の場所から見ている世界を解体し、

相手の場所から見ている世界に再構築する必要がある。

ジョン・バージャー「第七の男」(1975年)

とあった



スウェーデンの難民家庭の少女たちに広まった「あきらめ症候群」(本の題名となっている眠りつづける少女たち)

故国で受けた心の傷を引きずり、安住の地を求めてスウェーデンに移るも、難民申請は拒絶され、「絶望」という心の傷がさらに少女たちを追いつめるのだろうか?

ヤズィーディーやウイグルの家族にも同様の例が見られるが、世界各地にいる難民すべてあてはまるわけではないし、しかも少女たちに多くみられるのはなぜか?

あきらめ症候群を、生物・医学的な要因や心理的要因で説明尽くせないのは明らかで、文化的特異性から学ぶ点がある、と著者はみている。

だから、脳画像やコンチゾールレベルがどうのという見地を駆使してもあまり意味をなさない。


第二章で展開される「グリシシクニス」は中南米(ニカラグアなど)で見られる悪魔が憑依したような症状の奇病であるが、西洋医学の見地からその病をモデリングしてみても役に立たない。彼らは医学的な治療(この場合はおそらく西洋医学として)よりも宗教的儀式習慣に依拠することがはるかに多い。


私たちは、気分や精神の健康、さらには人格でさえ身体で表現している。その表現の仕方は生まれ育ったその国や地域の文化に影響を受けている。私たちは文化的に形成された病の概念を身体化しているのだ。

※私たち日本人は初対面の人や敬意をもった相手に自然とお辞儀をしてしまう。

※似た症状は国の違いによって悪魔が憑依、魔女の呪い、狐憑き、たたり……仮病、ヒステリー……などと


カザフスタンのクラスノゴルスキーにある鉱山労働者をめぐる眠り病


もともと中国国内で暮らしてたモン族は迫害から逃れてアメリカに移住するも数十人が深い眠りに陥り死に至った例


「キューバ危機」を背景としたハバナ症候群


コロンビアの女子大生に集団発生した解離性の発作(はなしがHPVワクチンをもとにして展開されている)


アメリカ(ル・ロイの女子高生に見られたトゥレット症候群に似た症状)

地元工場からの毒物汚染物質が原因としたマスコミ報道等も絡んだ社会背景(映画にもなったかのエリン・ブロコビッチも関与)


奇病の謎を知りたいとの欲求からこの本に興味をもったものの、途中からは著者の物事の本質を見極めようとする態度やその力量に敬服するにいたった。

本の帯にあるように「英国王立協会科学図書賞」

の最終候補作に挙がっただけの力作だと思う。


一番信頼がおけるとしている「西洋医学」がすべて病を治してくれるという無意識の思い込みをすてるべきだと考えさせられた。


昔からいわれてきている

「病は気から」

とか

「A sound mind in a sound body」

は真実なんだと思った。


そして「眠りつづける少女たち」と症状や集団発生などという面では違うが、引きこもりや場面緘黙なども同じようなものなのかもしれないと思った。


不安や絶望は病を引き起こす要因になり得る。



まったくの無意味な余談で申し訳ない


 「眠りの森の美女」が眠りから目覚めたのは、王子という希望の光が現れたからなのだろうか?