「バンビ」を描くレッタ・スコット


表題の女王たちというのは、ディズニー・スタジオで生みだされるヒロイン(脇役含む)であり、その制作に携わる女性アニメーターのことである…


わたくし

アニメはほとんど見なくなったが…


日本のアニメ映画のエンドロールをたまに目撃すると作画担当にはほとんど女性名が並ぶ。

だから、世界中の人々をハッピーにさせるウォルト・ディズニーのアニメーションなら、当然あるいはそれ以上に女性アニメーターが活躍していることだろう。

ディズニーアニメの面白い制作秘話、エピソードが楽しめるとして、娯楽としての軽い気持ちでこの本を手にしたのだ。

本の帯にある解説など読まずに。


結論から言うと、この本は自分のここ1年間の読書の中でも三本の指に入る名著である。


まず、帯にある書評文を読まれたし↓


著者は最後にこう締めくくっている。

彼女たちは、映画の女性キャラクターを進化させ、技術の進歩に寄与し、性別の壁を打ち崩し、今日の映画やアニメーションで観られるようになった、女性に力を与える物語の礎を築いた。何億人という子供たちが、彼女たちの芸術の恩恵を受けて育った。



アメリカに定着された戦前(第二次大戦)からある女性の社会進出を阻む壁(もちろん人種差別や女性の家庭内における地位も)。

それはアニメ制作会社でも例外ではなく、彼女たちのアニメ制作における仕事、すなわち自己実現は、そのまま女性の地位向上につながっていくという物語がここにつまっている。

フェミニズム運動を起こすなどの社会活動という積極的な形ではなく、子どもたちに夢と希望を与える“ありのまま”のヒロイン像を描くを通して、自分たち女性の夢(生きがい)をかなえるという物語なのだ。

〈主な女性スタッフとアニメ作品の歴史〉

以下太字は本文より引用

ビアンカ・マジョーリーは血の気が引き、手のひらに汗がにじみ…1937年1月25日のことだった…ストーリー部門のシナリオ会議ほど恐ろしいと思うものはなかった…問題は女に生まれたということ。ここでは男しか求められていなかった…p18


グレイスは翌週、ウォルトに会った…「私がストーリー部門に女性を入れたくないのはご存じだろう…」…自分の周りにいる既婚女性のことを考えたら、頷くしかなかった…p36


(1937年12月に公開された「白雪姫」の上映に際し)…実際には数百人が作品にかかわっているにもかかわらず、67名の名前しか表示されなかった。クレジットされないことに対するスタッフの不満は、その後ますます切実なものとなり…p58,9


「ピノキオ」に携わったアーティストや脚本家のほんの一握りだけが銀幕に自分の名を見つけた。…作品への女性たちの尽力を認めない風潮は、女性キャラクターの少なさにも現れており…

…1940年2月7日(「ピノキオ」初演日、地元新聞の映画レビュー記事)…“女性が男性の仕事の世界に居場所をみつけても、もはやニュースの価値はない。しかし、女性アーティストが厳格な男の砦であるウォルト・ディズニー・スタジオに侵入したとなれば、まさにニュースだ…”p85,6


…ストーリーディレクターとして、また養う家族がいる身にもかかわらず、シルヴィアの給料は男性スタッフよりも大幅に安い週給30ドルだった…p119


1940年にスタジオがついに「バンビ」を映画化しようとしたのは、けっして偶然ではなかった…脚本制作の一環としてレッタが描いた「バンビ」のスケッチを見たウォルトは、その才能に圧倒され、前代未聞の決断をした。レッタを原画マンに抜擢したのだ。p133


スタジオの全従業員1023人のうち、308人が女性だった…ウォルト・ディズニー・スタジオは、女性従業員の割合では、ハリウッドの他のどの大手スタジオよりも…多かったp135


スタジオの女性の地位が向上したのは、ストーリー部門に限ったことではなく、1940年代前半、ウォルトは仕上げ部門の女性たちを作画作業に取り込むための新たな研修制度を導入した。…ハリウッドのどのスタジオにもない、業界で前例のないチャンスを手にすることになった。…職場への女性進出を脅威に感じた男性は…つまり大声で騒ぎ立てた。…一部の男性従業員は女性が自分たちの仕事を横取りしているといって責めた…p171


1942年8月13日…(「バンビ」がニューヨークで公開された)

クレジットされた15名のアニメーターのうち、女性はレッタだけだった。ハリウッドの長編アニメーション映画で、女性アニメーターの名前がクレジットされたのは、それが初めてだった。p204


1946年11月12日、アフリカ系アメリカ人として初めてウォルト・ディズニー作品の主役を務めたジェームズ・バスケットは、…のちに…アカデミー名誉賞を受賞…ところが、「南部の唄」のプレミアでは…バスケットも、共演者のひとりで「風と共に去りぬ」の乳母役でアカデミー助演女優賞を受賞したハティ・マクダニエルも意図的に出席者から外された。p234,5


「南部の唄」公開の2年後、ウォルト・ディズニー・スタジオは初めてアフリカ系アメリカ人アニメーターを採用した。p238


アニメーション部門は、男女を問わず狭き門だったが、女性はただ優秀なだけではだめで、並外れて優秀でなければ採用されなかった。p256


「101匹わんちゃん」のクレジットは、…大勢の女性アニメーターが制作に携わったが、スクリーンに名前が載った人はひとりもいなかった。いつものことで、彼女たちは期待もしていなかった。p324


ハイディともうひとりの女性研修生は、1966年に設立された全米女性組織に公式に苦情を申し立てることにした…p359


「アラジン」は1992年11月25日に公開された。…ところが公開後まもなく、サウンドトラックの一部が人種差別だという批判の声が上がった…p380



ミッキーやドナルド、グーフィーが繰り広げるセリフなし、音楽のみで綴られるドタバタの短編アニメ。そのギャグやユーモアのストーリーアイデアは男特有のものであるのだろう。そこに女性の意見など入る余地が全くなかったと思う。

ディズニーの長編アニメではたびたびヒロインの物語がつくられるが、白雪姫にしてもシンデレラにしても平坦なキャラクターであり、自分の力で人生を切り拓いていく強い女性としては描かれない。昔ディズニーアニメから出た心理学用語でシンデレラ・コンプレックスというのが流行った。シンデレラはもとより、ピーターパンに出てくるウェンディなどがそれにあたるとされ、逆にティンカー・ベルは自立した女性像として描かれているという評価があった。そのティンカー・ベルでさえ、キャラクター設定には男性スタッフの抵抗(最近日本で話題になった黙らない女はけしからんのような)に曝された。

ベクデル・テストは、今ではエンターテイメント業界で女性がどのように描写されているかを評価する一般的な方法になっている。※ベクデル・テストに合格する3つの条件:作品に最低でも女性がふたり登場する。女性同士が会話を交わすこと。その会話では男性以外のことが語られること。p415より

1989年11月17日、(「リトル・マーメイド」が)封切られると、評論家たちは色めき立った。…「シカゴ・サンタイムズ」紙の評論家だったロジャー・エバートは、アリエルを「自分を持っている女性キャラクター」と絶賛した…作品は、アカデミー歌曲賞とアカデミー作曲賞の2冠に輝いた…p374,5


エレンは仕事に物足りなさを感じていた。スタジオが作る女性キャラクターは、素敵ではあるものの、主体性や人格の面で欠落していると感じることがあった。アリエルに共感することは難しく…p383


1995年…公開された「ポカホンタス」は…主人公を「ポカ・バービー」と呼んだ。…最ものっぴきならない批判は、…パウアタン・レナペ・ネイションの指導者たちが出した声明だった。「この映画は、原型をとどめないほどに歴史を歪め…不誠実で利己的な神話を永続させる」……ポカホンタスは駆り立てられる情熱も、個性もない、味気ないキャラクターになってしまった…p390


1998年、「ムーラン」が公開された。スタジオ初の中国人プリンセスの造形に重要な役割を果たしたリタにとって、緊張と喜びの瞬間だった…p394


「メリダとおそろしの森」には他にも問題がいくつかあった。…人種に関する描写で批判を浴びた。…「ようやく黒人のプリンセスが現れたと思ったら、スクリーン上ではほとんどの時間、カエルだった」p397


(「アナと雪の女王」)の監督のひとりとなったジェニファーは、作品の中核をなす家族関係を、真実味を持って描く必要を強く感じた。そこでチームは、前例のない「姉妹サミット」なるものを開催する。…女性が何百人も出席する会議は、スタジオ始まって以来のことだった。p405


「アナと雪の女王」は長編アニメーション映画部門でオスカーを受賞し、セルロイドの天井(ハリウッド版ガラスの天井)が打ち破られた。…ディズニーの女性アニメーション映画監督がアカデミー賞を受賞したのが初めてであり、女性監督の映画が興行収入10億ドルを超えたのも史上初めてだった。p410,1


スクリーンに映る女性も少ない。アメリカ映画の興行収入上位100作品のうち、女性が主人公の作品は全体の24%にも満たない。2017年の長編アニメーション映画では、この割合はわずか4%と驚異的に低い。p414


「アナと雪の女王」(私は視聴していないのでおこがましいが)は、ディズニーアニメーションが描くヒロインの理想像として、当時としての完成形だったのかもしれない。

※「アナと雪の女王」を観たディズニーファンなら、このくだりが書かれた箇所を読んだら、身震いして感動すると思う。



女性アニメーターで

特筆すべきはメアリー・ブレア。彼女の作品に直接的(仕事の同僚として)、間接的(彼女が残してきた膨大なラフ画を含めた作品をあとの世代が見る)にインスパイアされたアニメーターは数知れず。その独特で大胆な色彩感覚は、例えばディズニーランドのアトラクション「イッツ・ア・スモールワールド」の中でその片鱗を見ることができる(それから米ディズニーランドのトゥモローランドに建つ2枚の巨大壁画のかげに隠されているという~86年に剥がされて別の壁画になっている)。ところが、そんなきらびやかな世界が描ける彼女の私生活は、アルコール依存症でありDVをはたらく夫と暮らす不幸な家庭であったのだ(同業者でありながら妻を見下すこの男は救いようのないクズ中のクズ)。それを大親友であるレッタにさえ明かすことはしなかった。

…「シンデレラ」のシーンで、メアリーの影響を受けていないものはほとんどない。…ラブソング「これが恋かしら」に合わせてシンデレラと王子がワルツを踊るシークエンスほど彼女の影響が色濃く感じ取れるシーンはないだろう。p250


メアリーは、ウォルトやスタジオ仲間からの手紙で、スタジオや制作の近況を知らされていた。


メアリーの人生は、すべてにおいて喜びと苦しみが背中合わせだった。完成したディズニーランドの「イッツ・ア・スモールワールド」を見たとき、彼女は誇らしさと戸惑いの両方を感じた。…家庭での不幸せを思えば、自分がコントロールできる唯一の場所で…p341


1978年、(メアリーとレッタは)ともに60歳を越していたが…その頃に自分たちが携わったディズニー映画が今、運命の逆転を果たしていることがおかしかった。…「ピノキオ」「バンビ」「ダンボ」「ファンタジア」「ふしぎの国のアリス」「わんわん物語」などかつて興行的失敗とみなされた映画が今では何百万ドルも稼いでいた。p360


ブレアのスタイルは、同じくドクターが監督した「インサイド・ヘッド」(2015年)の少女のカラフルな脳内にも現れている。近年やっと日の目を見たメアリー・ブレアの作品だが、無邪気さや喜びといった一貫したテーマにインスパイアされる人の中で、彼女の苦しみや、時には暴力の中で作品を制作していたことを知る人は少ない。p414



これは、特にディズニーアニメーションの女性ファンであるなら是非とも読んでいただきたい本である。

映画を観たときの感動とはまた次元の違う感銘を受けるにちがいない。



世界はせまい 世界は同じ

 世界はまるい ただひとつ



ありのままの 姿見せるのよ

 ありのままの 自分になるのよ