ご無沙汰しておりました。
ご心配をおかけしていたかもしれません。
またよろしくお願いします。

我が家も新しい日常がスタートしました。
家族の欠員です。
母が他界したのです。
初七日が過ぎて、落ち着いてきましたのでブログを再開することをお許しください。

母は90歳越えにもかかわらず足腰が不自由していたこと以外、何ら内科的問題がなく過ごしてきました。認知症にもなりませんでした。
病気には縁遠く、顔のハリなどは年齢のわりに色艶がいいと言われていました。
本人も周囲も100まで生きるだろうと言われていました。

それが脳梗塞を引き起こしたのです。
病気の予兆が分からず、突然くることがあるのが脳梗塞の特徴だと言われました。長患いから徐々に衰弱するのではなく、まるで交通事故に遭ったようにいきなり命を奪われることになったのでした。

筑波大学病院に緊急搬送され、すぐにカテーテル手術を施していただきました。
手術は無事成功して、ICUにて予後観察の後、病状によってリハビリを行うか、あるいは最悪寝たきりになるかなどと言われました。
2週間を目安にと仰せつかっていましたが、次の日よもやの呼び出し。施術した二人の先生から異口同音に“術後の出血が酷く余命は1,2日”との沙汰を受けました。脳内出血が広がり最終的に脳幹を圧迫して呼吸が停止せざるを得ないと、寝耳に水の話でショックを受けました。

そこから先は終末期医療、延命治療等の話に言及し家族の判断をと示唆されました。
医師からは、脳幹への圧迫を抑えるのに頭部を開いて出血を除去することもできるが患者への負担が大きく延命効果も小さい旨を伝えられました。安らかに眠っているように見えても本人の苦しみは大きいに違いなく、おそらく昏睡状態は変わらないのだろうと思いました。本人が自分の力で呼吸、つまり生きようと努力している限りはそのままにしてあげたいが、体の中に管を通したりなどの暴力的な延命治療には同意しないと告げました。医師も体に大きな負担をかけしかも僅かな延命効果の治療には否定的な見解をおもちでした。
次の日にICUに訪れた際に対応していただいた若手の医師は考え方がしっかりとしていて感動すら覚えました。“我々医師の目的は患者の命を救うこと。その際患者本人の意思や家族の意思をも尊重しなければならない。そのために考えられる様々な治療法等を提供する。できることとしないことを明確にしつつ、人命を救うべく治療を患者や家族の意思に寄り添いながら進めるべく最大限の努力をする”という。その言葉はこの若手医師の信念であるように私の胸に届きました。こんなに熱く語る医師に今まで会ったことがありませんでした。治療法や結果だけではなく心を語るのです。正に医は仁術です。
だからそれに答える義務がこちら側にもあると思いました。“どんな形であろうと他人とコミュニケーションがとれなくなった時点で人間らしい営みが失われたと考えます。だからその後に延命するための苦しい治療を施して更に人間的な尊厳を傷つけるのには同意できない”と。

この筑波大学付属病院の入院病棟は“けやき棟”と呼ばれています。
けやきはどこまでも大きく成長し、やがて太くてしっかりとした幹を形成し、多数の枝を多方面に延ばします。その枝はしなやかで滅多に折れません。しっかり根を下ろしがっちりと頼りがいのある根幹、そしてそれに支えられている無数のしなやかなで多様な枝葉。
この病院の医学哲学、治療理念が正に欅の木に同化させているのかなと思いました。患者の命を救う強い信念が幹で、そのための様々な治療法や介護サポートが幹につながった枝になっているのだと。

コロナ禍の病院の窮状にもかかわらず事情を汲んでくださり、同居家族限定で面会など柔軟な配慮をいただき病院にはとても感謝しています。
心拍数、血圧、酸素濃度などの数値が下がるたびに病室から連絡をしてくださいました。そのたびに面会に駆けつけそのたびごとに緊急事態を回避してきた母。年齢に相応しくない母の驚異的な生命力に担当医師も舌を巻いていました。余命1日2日と断言されたのにそこから更に10日ほど生き長らえました。健康に自信があったのに突然訪れた災禍に納得できず、不撓不屈の精神力で死を乗り越えようとしているようにも映りました。
お別れとなった最後の面会はその日二度目で、夜間に電話連絡を受け徹夜覚悟で行きました。最後かもしれないとの予感はありました。
おそるおそる入室すると、鳴り止まない警報音と早鐘のように打つ鼓動と下がりづけていく酸素濃度がモニター表示されていて、事態の深刻さでこちらの心がぺしゃんこになりそうでした。必死で息をしている姿を見ているとこちらまで息苦しくなってきました。
心の整頓をつけようと仮眠室に30分ほど退避していると、間もなくして看護師から声をかけられました。
行くと、あれほど速かった鼓動がゆっくりとなり、血圧もかなり低下していました。
呼吸数も少なくなって…
一つ一つがゆっくりとなり、やがて最後の一呼吸となって…
そして停止しました…
赤みがかっていた顔がみるみると青ざめていきました。

幸か不幸か
親と最期のお別れをする瞬間に立ち合うことができました。
親の死に目に会えるのは滅多にないことだと看護師さんが話していました。


続く…


訪問するのをサボっていた
皆様のブログも少しずつ拝見いたします。

全ての記事を読むのは難しいので最新版が中心になるかと思いますのでよろしくお願いします。