小川洋子(1962年~)の「巨人の接待」を読んだ。

巨人とは国際的名声を得ている文壇の巨人という意味か。
巨人が来日するにあたり、その通訳を任された女性との交流を爽やかなタッチで描いた作品である。


巨人はバルカン半島のとある小国の丘陵地帯に暮らす人々の地域語を用いる男性作家
英語でもフランス語でもないその希少言語を介する役目として若手編集員に白羽の矢が立った。


来日を迎える空港には出版関係者、新聞記者、役人、ファンが集まり、彼の一挙手一投足、そして繰り出される貴重な言葉を視聴すべく固唾をのんで待ち構える。

ところが、彼は、言葉を自在に操る偉大な作家から連想する饒舌口達者なイメージとは対極にあるような口下手で物静かな人物だった。
作品すべてが地域語で書かれ、その地域に暮らし、講演やインタビューなど公の席には滅多に顔を出さない。
また、拘りのある執筆スタイル、特異な趣味、自宅に大きな鳥小屋を設け百羽15種類の小鳥を飼うなど、頑固であり、偏屈であるのが世評として定着した伝説的な人物であるのだ。

そんな偏屈オヤジ相手に
果たして
若手通訳者はよい仕事ができるのだろうか?


マスコミ相手のインタビューの席
関係者は巨人にたくさんの質問を浴びせる。
それに対して巨人はほんの短い言葉でしか答えない。それもボソボソと聴き取れないような小さな声で。
一方の彼女は、巨人の言葉にならない言葉をすくい取り、彼の心情をよみときながら彼女のコトバで返していく。それは、彼女が巨人の作品を読み通して彼の人柄を理解している(一声で大勢の人間を振り向かせるような声ではなく、たった一人の耳元にささやきかけるような声で、巨人はずっと作品を書き続けてきた~本文より引用)からであり、彼女の学びと人柄との総合力がなせるワザに他ならない。
巨人の左後方に控える彼女は、彼の左耳の動きを通して自分が発した言葉の良し悪しを判断していく。

そうして作家と通訳者は言葉ではなく心を通して深く交流していく。
そして巨人はこの通訳者を受け容れていく。

彼女が彼の心を忖度して発した言葉を、偉大な作家の魔法の言葉として額面通りに捉えていく外野の人々が滑稽でもあり、通訳者のよい仕事とは何だろうと考えさせられたりもする。

言語を文字通り正確に日本語に置き換える通訳者が優れているのか。
それとも当人の言葉にならない言葉までも通訳者が咀嚼して昇華させて発することも許されるのか。

相手が作家であり、通訳者が読書家であり、この小説を書いたのが小川洋子さんであったからこそこの通訳者が主役になったのだろうと思う(この作品は巨人が主役ではない)。


小鳥と語り合えるような人間
心で交流できる人間
そして
心を伝えることができる通訳者

この二人は
もしかしたら
作家小川洋子さんの理想像なのかもしれない。