幼少の頃の微かな記憶。

母は、人と違うことばかり、やりたがる私を「本当に生意気なんだから、お前は。」としかった。母は人と同じことをすることをよしとしていた。

父は、「生意気なのは、自分の考えがあるからだろう。それだけ、見どころがあるからだろう。」と擁護してくれた。

そんな父がいたこともあり、「三つ子の魂、百までも」、生意気なまま、時を重ねることができた。

生意気でなければ、私は、もう少し、組織に馴染んで、大学を卒業し、そこそこの出世をして定年を迎え、その後、再雇用で働いていたことであろう。

思い返せば、父も器用な人間ではなかった。人の好き嫌いがはっきりしていたし、頭を下げる、媚びるとか嫌いだった。決して、世渡りがうまい生き方ではなかったと思う。思いが強すぎて、人から理解されないことも多々あった。

蛙の子は蛙。そこに後悔はない。