↑みんなで作業した田んぼの朝の風景。
朝陽に照らされた朝露がキラキラ光って、夏の早朝は嬉しいご褒美があるのです✨
佐伯さんがわたし達の地元の障害者施設を紹介してくれて、すぐにMさんと見学に行ったら、一目惚れ❣️
↑徳島の忌部研究会から頂いた藍のタネが無事に育った
障害者施設は、わたしは全くご縁が今まで無かったけど、障害者施設ってわたしの中では障害者達が部屋の中で作業をしていて、外の世界とは隔離されているイメージだったのです。
けど、見学に行った施設では、住宅地だけど屋外でみんな農業をしていて、近隣と溶け込んでいるのに、そこの世界に入ったら、わたしが生きてる社会の価値観とは違くて、
みんな身体だったり、知能だったり、精神だったり色んな障害を抱えている人々がそれぞれのペースで
働いていて、わたしもその世界に入っただけで、自分の肩の荷が降りるような、わたしのままで良い❣️
って感じる場だったので、ここで働きたい‼️って思ったら、ご縁があって働けることになりました。
↑最後の一年は、寮の夕飯を作らせてもらって、この世で一番苦手な料理に挑戦。約25人前を毎週つくりました🌟
約二年間だったけど、障害者と言われるみんなと働いてわかった事は、健常者と言われている私たちの方が(心が)病んでいて、
彼らは本当に温かくて、ピュアで信頼出来る存在だとゆう事。学歴とか職業とか役職なんて、全く関係ない‼️
何か問題が起こった時に、真っ先に寄り添ってくれた人、励ましてくれた人、動いてくれた人は、障害者と言われる人たちでした🌟
わたしはたまたまのご縁かと思っていたけど、全部仕組まれていたのでしょう。
わたしはこちらの障害者施設で働いた事で、生まれて来てからの滞りと言うのか、行動の出発源になっていた物が、全部溶けてしまった感覚にいます。
今までのブログでも書いたかもしれないけど、わたしは養蚕農家に生まれて、ひいじいちゃんからじいちゃん、ばあちゃん、お父さん、お母さん、みんな朝から晩まで農業の話をしていて、
子供だったわたしは全く着いていけなくて、ずっと孤独に感じていたこと。
長男の兄はいたけど、全く勉強出来なくて、家がバカにされない様に、わたしが長男の代わりに男社会でもバカにされないくらい、優秀になって見返してやろう
って思っていたこと。
家庭を持ってからは、子供を死産した事で、未来の生まれて来る子供にエネルギー溢れる自然栽培の野菜を作って、料理して食べさせたい❗️とずっと夢に思って来たけど、
離婚してアラフィフとなった今、その夢も叶わずだったのが、、、
二年間働いていた障害者施設のおかげで、全部思い込みに思っていた事、夢だと思っていた事、が全部叶って溶けてしまいました✨
みんなと朝から晩まで農業の話をした事で、わたしは孤独ではなかった事。
わたしは指導員で男性のみんなに農業を教えると言うより、対等な感じで教えたり教えてもらったりで、張り合う必要も無くて、重い物は彼らに持ってもらったりで、男性達は本当に有難いって思えた事。
プライドが高くて人に頼む事が苦手だったけど、彼らに指示をして仕事を頼んだり、色々辛いことがあって、彼らに相談するとすぐに解決して、みんな(人って)温かいな❗️と思ったこと。
自然栽培の野菜をみんなと作って、寮に住んでるみんなに食べてもらって、みんなが毎回『美味しかったよ!ありがとう八重ちゃん来週は、うどん食べたい』って、口々に言ってくれて、みんなが家族みたいで、みんな可愛くって、とっても嬉しかったこと。
みんなのおかげで、全部夢が叶ってしまって、真っ白な世界にいるわたしです😅
これからは、外の影響じゃなく、内から溢れて来る喜びから行動したい❣️って思っていますが、新しいステージどうなっていくのやら