今日は古い器のことを書きます。昨今は鳥見に押され気味ですが、こちらの方も細く長く続けられる良き趣味と考えていますので、気負わずのんびり続けていく所存。今回は久々に心震える良い品と出会いましたので、それを。

 

 

写真がそれ、壺ですね。胴径四寸三分、高さ四寸五分ほどの、壺としては小さいものです。口辺は片口の形状になっており、口のすぐそばの両側に耳が付いています。断定は出来かねますが、これは古い越前焼だと思われます。

 

というのは、この壺の形状は「ある用途」のための形として古陶磁蒐集者の間ではよく知られているから。また下方に見える素地の部分や上部の施釉部分の様子も、その用途の器の産地として名高い「越前焼」の味わいですね。

 

 

では、その用途とは?それは「お歯黒入れ」です。皆さん少しはご存知かもしれません、江戸時代の風習ですね。既婚女性達が歯に塗ったという、あのお歯黒です。以下、少しお歯黒という風習について引用をしてみましょう。

 

「お歯黒は日本特有の興味深い風習です。その始まりは古墳時代に遡り、人骨や埴輪に既にお歯黒の痕跡が残っています。その後、奈良、平安、鎌倉、室町、戦国そして江戸時代から明治初期までお歯黒の習慣は続きました。」

 

「庶民に広がってからは、女性が結婚を迎えてはじめて染める風趣となり、ついには既婚女性の象徴となりました。黒は何色にも染まらない色なので、貞操を意味し、既婚女性の誇り高い心の支えともなっていたようです。」

 

「昔の人のお歯黒の歯にはほとんど虫歯がみられなかったそうです。お歯黒の歯には虫歯や歯槽膿漏も少なく、歯痛も起こりにくいなどの言い伝えは大正頃まで続いており、お歯黒は庶民の間で永く伝わっていたのでしょう。」

 

いや、実に興味深い。100年ほど昔までこんな風習が日本に生きていたんですね。私達がそれを想像し難いのは、「既婚女性は眉を剃りお歯黒をしている」という表現が今の「時代劇」からスッポリと抜け落ちているからでは?

 

さて、ここで器へと戻りますが、そのお歯黒の材料は五倍子粉(60%のタンニン含有)と鉄漿水(酢酸第一鉄溶液)だったそうで、それを貯めておいた壺が「お歯黒壺(あるいは鉄漿壺)」と呼ばれた、ということなんです。

 

この壺の形状もそれで納得できますよね。片口なのは、使う分だけ小皿に注いで歯に塗っていたのでしょう。両側の耳にはもしかしたら紐を通して、壁に掛けておいたのかもしれませんね。床に置いて倒してしまわないように。

 

 

ということで本来は「お歯黒入れ」だったこの壺ですが、その素朴な風情が茶人たちに愛され、茶席の花入に転用されたりして使われたそうです。私の元へ来てくれたこの壺も何とも言えない味わいがあって、花が似合いそう。

 

以前も書いたことですが、私が古い器を愛するのは、落とせば割れる儚いものでありながら、その身に永い歴史を刻んで生き続けてきた、その「深み」を感じるからです。時代は不明ながら、この壺にもその深みを強く感じる。

 

特に、今は廃れた風習の面影をその形に宿すとなれば、「江戸好き」の私にとっては尚更大きな価値をもったモノなんです。この文章と風情ある壺の姿から、皆さんにも喪われた文化に少し思いを馳せていただけたら幸いです。

 

via やまぐち空間計画
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