『知られざる魯山人』   山田和 著   文春文庫

 

私と同じく陶磁器好きの人で、北大路魯山人の名前を知らない方は多分おられないでしょう。明治から昭和を生きた陶芸家、画家、書家、篆刻家。そして漫画『美味しんぼ』の登場人物・海原雄山のモデルになった人でもある。

 

私の好きな歴史家・磯田道史氏の筆になる本書の解説は、こう始まっています。「北大路魯山人ほど、評価の難しい人物もいない」と。美術界で非常に有名であって、しかしその実像が見えてこない人物、という意味でしょう。

 

私自身も、知っているようで知らない人でした。その陶芸は確かに素晴らしいと思うし、一大美食家だったのも知っていて、料理を盛るとその輝きが更に増すという話にもかなり納得できる。でもその人生はよく知らなかった。

 

そして解説の続きはこう。「ところが、今回、とほうもなく精密な魯山人評伝が世に現れた」。確かに本書は文庫版で650頁、徹頭徹尾すごい密度での記述が続く「濃い」評伝であり、著者の情熱に圧倒されんばかりでしたね。

 

著者はノンフィクション作家、私は初見でしたが、調べると魯山人関係の著書が他に数冊あるようです。この、全ての文献確認と八十を超える関係者への取材から浮かび上がってきた北大路魯山人像、じっくりと堪能しました。

 

読めばすぐに感じられますが、本書は単なるノンフィクション作品ではありません。「評伝」とは評論を交えた伝記という意味ですが、本書からは「評論」を超えた著者の魯山人への思い入れ、感情移入が強く伝わってきます。

 

それは第一章の題が「父と魯山人」であるとおり、著者の幼児体験から来ているようです。氏の父は魯山人後援者の一人であり、幼少より日々の食事を全て魯山人の器で食す暮らしだったことで、その美が原体験になっていた。

 

一般的に魯山人と言えば、歯に衣着せぬ物言いで容赦なく人を罵倒する傲岸不遜の人物だったと語られています。一方で「あれくらいアクの強い人でないとあの美は生み出せない」というような擁護的な見方もあるようですね。

 

詳細は読んでいただくしかないのですが、著者はそういうある意味極端な人物像の根源もまた、房次郎(魯山人の本名)の幼児体験が反映されていると考えたようです。父親の自殺、養母からの凄絶な折檻といった辛い体験が。

 

そしてこれは魯山人自身の言で、3歳の春に上賀茂神社東の神宮寺山で見た「真っ赤な躑躅が咲き競う光景」、その色彩の渦に「美の究極」を感じたことも。更に美食へと続く道筋もまた、幼少期の体験に端を発するようです。

 

読みつつ思ったのですが、著者はそうした「強烈な体験」が人の人生におよぼす影響の大きさを感じ、その点において魯山人と自分を重ね合わせながら筆を進めたのでしょう。そしてその重なる体験とは「喪失」だったのでは。

 

著者の家にあった魯山人作品はその後全て売り払われてしまった。そして世間に喧伝される「傲岸不遜」なる人物像と、父が親しく接した「あの人」との乖離。そこから大事な何かを取り戻さねば、そんな想いが本作を生んだ。

 

「三つ子の魂百まで」なる言い方がありますが、幼少期の強烈な体験が人格形成を大きく左右するという話はよくわかるし、その原点からの光で魯山人の人生を照射することで見えるものこそ、本書の大きな魅力だと感じます。

 

最後脱線しますが、ちなみに私自身が3歳の時の強烈な体験、それは大阪万国博覧会でした。私のSF好きはきっとそこが原点なのか、とも思ったり。三つ子の魂~という諺は、かなり本質を突いた真理なのかもしれませんね。

 

via やまぐち空間計画
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