我が趣味の古い器蒐め、日々ぼちぼちと愉しんでいます。今回はちと珍しい伊万里が手元にやってきてくれましたのでご紹介をば。写真がそれ、直径五寸一分、高さ一寸八分、呼ぶとすれば「古伊万里金魚文膾皿」でしょうか。

 

古伊万里にはこの「膾皿(なますざら)」と呼ばれる深めの皿は多く存在し、それだけよく使われていたのでしょうね。文字通り膾を入れるための器で、中でもこの、口辺が花びら型になったタイプを「輪花皿」とも言います。

 

 

我が家でもすでに3、4枚の膾皿を普段使いにしていて、ご覧の通り形も大きさもほぼ同じですね。完全にこの器の「型」が出来上がっていたということでしょう。でも今回入手したこれは、実は私も初めて見る絵付けでした。

 

器の底に二重丸を描くのは、古伊万里全般によくある手法です。でもその中央はだいたい五弁花と言うマークか松竹梅文様が多いんですよ。これは中央にも金魚の絵、そして周囲にも四匹の金魚と水草?らしき揺れる植物群が。

 

今回はこの面白い文様と、そして「濃い藍色」が気に入って入手しました。手持ちの他の膾皿よりも絵付の青がぐっと濃く、まさに藍染のような落ち着いた色合い。伊万里の青にはかなり幅がありますが、ここまでのは珍しい。

 

 

この皿の時代特定は私には難しいですが、手描きの絵付や裏の「蛇の目高台」の感じだと、多分江戸後期から幕末あたりでしょうか。なるほど江戸の人々も金魚を飼って楽しんでたんだと思うと、俄然興味が湧いてきましたよ。

 

早速調べてみると、おお、やはり江戸にも「金魚ブーム」があったようです。日本へ金魚が渡来したのは室町末期で、江戸時代後半には庶民も普通に飼っていた、とのこと。面白いことに、金魚養殖は武士の副業だったらしい。

 

これはあの「変化朝顔」など、植物栽培も同じですね。太平の世にこそこうした文化的熟成が進むもの、しかもそれらは主に、今のビジネスマンよりもずっと暇だった武士の「内職」として展開していた。実に興味深い話です。

 

 

そして江戸の金魚ブームでわかったもうひとつの事実から、私にはこの器の「意味」が見えたような気がしたんです。それは上の浮世絵にもあるように、当時は今あるガラス製の金魚鉢がまだ普及していなかった、ということ。

 

江戸の人たちは、金魚を陶磁器の鉢に入れ上から見るというスタイルだったんですね。この「上見(うわみ)」こそが金魚の正しい鑑賞法だった、と。なるほどと頷いて、そこではたと気づきました。この膾皿はその絵なんだ!

 

これ、鉢に入れた金魚たちを上から眺めて楽しむそのさまを、そのまま絵付に写し取ったのではないでしょうか。そう考えるとさらに鑑賞が楽しくなるし、またこの絵付職人の卓抜な発想にもさらに唸らされる気がするのです。

 

その推理の真偽はともかく、いつも書く通り、この器ひとつから江戸人の暮らしに想いを馳せることが出来ます。渡辺京二が『逝きし世の面影』で語った「江戸文明」を生きた人々に近づく、それが私の器蒐集の醍醐味ですね。

 

via やまぐち空間計画
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