私は生まれも育ちも大阪府堺市、いわゆる堺っ子で、今も同市内在住です。父曰く、山口家の先祖は岸和田藩の侍だそうで、同藩は現堺市の一部も領地だったようですし、昔からあまり移動していない一族なのかもしれません。

 

私が子供の頃、NHKの大河ドラマで『黄金の日日』というのがあったんです。今の二代目松本白鸚さんがまだ市川染五郎を名乗っていた頃に演じられた、堺の貿易商人・呂宋助左衛門の物語で、今も鮮明に記憶に残っています。

 

そんな商人の街、中世より栄えた自治都市・堺で育ち生きてきた私。確かに妙国寺を始め史跡もたくさんあったりするわけなんですが、でも今ひとつ自分の実感として「歴史ある街に生きている」という感覚に乏しかった次第。

 

それが先日、その歴史に開眼する出来事があったんです。それが冒頭の写真、「さかい利晶の杜」で開催されている「茶のうつわ」展。前振りが長く申し訳ありません、今日は「発掘された器」から歴史を顧みる話であります。

 

 

この地図も展示の一部で、図中の緑ラインで囲われた範囲が、「環濠都市・堺」だったエリア。お濠を巡らせ外敵から安全を確保、豪商達による自治で栄えた街だったところで、ここを今は「堺環濠都市遺跡」と呼ぶそうです。

 

図中にポイントがいくつも打たれていますが、この企画展は、ここで発掘された古い茶道具の器を展示するというものでした。自分の街の地面の下から出てきた桃山時代の器たち、私がこれを見に行かないわけにはいきません。

 

 

予想通り、展示は素晴らしかった。我々古い器好きが「堀の手」と呼ぶ発掘品には当然破損も多いですが、間違いなくその時代の人々が使った器。産地でなく消費地・交易地である堺での出土品なら、それは尚更確かですよね。

 

 

このように、唐津や美濃を始め伊賀、信楽、備前、そして交易国である明や清の器など、バラエティに富んだ器たちが展示されていました。これも産地でない消費地・交易地ならでは、京都にも同様の発掘品が多く出ています。

 

では、そもそも何故「掘ると出てくる」のか?これも京の都と同じ理由、それは火災です。堺の街も、戦火などによって何度も焼失しているんですね。そうした時、人は焼け跡に土を盛って整地し、その上にまた建物を建てた。

 

それが繰り返されることで出来る人為的な「地層」が今、遺跡として調査・研究されている。そしてそれは、遺構や遺物から中世の堺の様子を復原する作業だと言っていいでしょう。そのことに、何だかとても感動したんです。

 

以前にも書きましたが、私が古い器を愛する理由の一つは、落とせば割れる弱い物なのに、大事に使えば何百年も遺る、儚さと永遠性を併せもつところ。しかし土に埋まった器達が、街の歴史を今に伝える証人でもあったとは!

 

この企画展は、単に美しい器を鑑賞するだけでなく、私にもそれらが使われた中世の堺について想像を膨らませる契機になりました。自分で自分の現金さに呆れつつも、でも俄然そうした「我が街の昔」への興味が湧いてきた。

 

そんなことで、55歳の今、ようやく11歳で観た呂宋助左衛門の世界へ入ろうとしています。その扉が「古い器」であったのも、まあ私らしいコトですね。そして興味が湧くとしばらくマイブームになるのも又、いつものことw。

 

早速まずは古地図(画像参照)を眺め、時代の遡行からこの探訪を始めました。私の中で今後「南蛮貿易」「陶磁器交流」「宣教師ザビエル」「千利休」等が、点から線へと結びついていくのが今から楽しみで仕方ありません。

 

 

 

via やまぐち空間計画
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