趣味の古い器集め、細く長く楽しんでおります。今回は、自分ではかなりお気に入りの、でも色々と「?」が出る器が仲間入りしてきたのでご紹介いたしましょう。写真がそれ、青味のある釉薬が掛かった水注らしきものです。
寸法は、胴径四寸高さ四寸五分というところ。全体の形も、釉の自然な流れや胴体上部の波線文様も、なかなか良い感じ。水注とは書の道具で、「水滴」よりも少し大きなタイプを指す名称のようですね。名の通り水を注ぐ器。
でも、なんだか変なんです。私は今までにこういう焼き物を見たことが無い。一番最初に見た時は「斑唐津?」と思ったんですが、入手しよく眺めてみると、どうもそうではないらしい。これ、備前焼ではないかと思うんです。
ほら、こうして底を見ていただくと備前っぽいでしょう?口辺や注ぎ口あたりの生地部分を見ても、そんな感じがします。しかし、備前焼と言えば無釉の「焼締め」を身上とする陶器のはず。何故こんな施釉がされているのか?
ちなみに備前にも「自然釉」なるタイプがあります。窯の中で薪の灰が器に降りかかって溶け、釉薬同様に器肌を覆ったものをそう称していて、私も画像では何度も見知っているんです。まさに備前らしい「無作為の美」です。
でも、この水注のような青系の色のものは見たことが無い。灰釉は黄緑色、若葉色から黄土色、茶色あたりの発色がほとんどなんですね。例えば斑唐津の青などは還元焼成によって発色すると言いますが、備前には無いみたい。
また別の推理のポイントもあります。上の画像のように、注ぎ口と胴体中央突端部に釉ハゲがあるんですね。人為的なものでない窯中での自然釉で、このような剥がれが出るとは思えない。とすればやはり自然釉では無いのか?
ということで、骨董歴3年の私では、この器の産地・製法を同定するには力不足でした。現状の私の想像は「備前焼に釉薬を掛けて二度焼きしたもの?」あたりで止まっています。どなたか詳しい方あれば是非ご教示のほどを。
とまあ、ややマニアックなことを書きましたが、この変わり者の備前施釉水注、その濃茶色の肌と青い釉薬のマッチングは、唐津ともまた違う何とも言えない風情があるんです。出自がわからないが故の魅力と言いましょうか。
無論想像ですが、もしかしたらこの器をつくった人も、そうした「備前+青い釉薬」をやってみたかったのではないか。そういう色合い・風合いの器は有るようで無いですから。私はその想像上の作者に、大いに共感しますね。
この水注を眺めあれこれ思案を巡らす中で、ふと「はてなの茶碗」という噺を思い出しました。三代目桂米朝師匠が復活させたという古典落語ですね。通人が首を傾げて見ていた茶碗を「良いモノ」と思い込んだ男の物語です。
もしかしてこの水注も「はてな?はてな?」と首を傾げていたら凄く価値有るモノに化けたりするかも、なんて。いえいえ私はそんなことを望むものではありません、美しい器が手元にある幸せが一番。お後がよろしいようで。