Facebookの投稿で以前、「坐辺師友」という北大路魯山人の言葉をご紹介したことがあります。即ち「優れた人・物に囲まれて暮せばその心を自ずと学びとることができる。己の周り全てが師であり友である」の意である、と。

 

私が今この文章を打っているPCの廻りには小さな器たちがいくつも並んでいて、まさにそれらが我が坐辺師友、大袈裟に言えば生きる歓びであり癒やしであるモノたち。今回そこにまた可愛らしい師が仲間入りしてくれました。

 

写真がそれ、「絵志野輪線沢瀉文盃」とでも呼べばよいか、口径二寸一分、高さ一寸三分五厘の小さな盃です。後ろに写っているのは、以前ここに書いた四方筒向付ですね。今日はこの2つの器に共通する「文様」のお話をば。

 

どちらの器にも、3つに枝分かれしたような葉っぱが描かれているのがおわかりいただけますでしょうか。これが「沢瀉」で、知らなければまず読めませんが「オモダカ」という名前の植物。その葉を描いた文様なんですね。

 

骨董の器漁りをしていると、かなり頻繁にこの「沢瀉文」に出会います。それだけ人々に愛された文様なのでしょうし、確かにこの三つに別れた葉っぱはとても絵になる姿かと。でも、いま沢瀉って見ることありますか?

 

正直私も今まで見たことがありませんでしたので、今回Wikipediaで調べました。以下引用です。

オモダカ(沢瀉・面高)は、オモダカ科オモダカ属の水生植物である。ハナグワイ、サンカクグサ、イモグサ、オトゲナシなど多くの別名がある。オモダカの語源ははっきりとはしておらず、人の顔に似た葉を高く伸ばしている様子を指して「面高」とされたとも、中国語で湿地を意味する涵澤(オムダク)からとられたとも言われる。

沢瀉、こんな姿をしているんですね。確かになかなかシュッとして洒落た出で立ちをしています。この写真もWikiからで、おそらく水田での風景ではないでしょうか。でも、今まで田んぼでこういう植物を見た記憶はないなあ。

 

そう思いつつWikiを読み進めますと、こんな記載がありました。「種子のほかに塊茎でも繁殖するため、難防除性の水田雑草として扱われることもある」と。なるほど、それが我々が目にしない理由とすれば、有り得る話です。

 

江戸で愛された植物を現代人があまり知らないのは寂しい話だなあと思いつつさらに読んでいくと、クワイはオモダカの栽培変種、とある。へえ、そうなんだ。ちなみにクワイそのものも植物の姿で見たことありませんがw。

 

食材としても、今ではお正月くらいしか見ることのなくなったクワイ、「芽が出る」という縁起物の食べ物ですよね。もしかしたら、そういう縁起物という事情もあって、このオモダカの文様が好まれたのかもしれません。

 

今回色々と調べていくと、オモダカは花も白くて小さい、とても愛らしい花でした。ちなみに花言葉は「信頼」「高潔」だとか。高潔はなんだかわかる気がしますね。そういう雰囲気を漂わせる、スラッと絵になる草です。

 

どこかで見ていたかもしれないこの美しい植物を今まで理解しておらず、本当に勿体ないこと。器の文様を通じて先人たちの草花への想いを知り、そこに自分も思いを致す。それも即ち我が坐辺師友からの学びに他なりません。

 

via やまぐち空間計画
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