『太陽の塔』  2018年  関根光才 監督   日本

 

※本稿は映画のネタバレを含みます。これから観ようと思われる方、ご注意くださいませ。

 

連休にAmazonプライムで鑑賞した映画のご紹介を。私は1967年生まれで、私の人生最初の記憶は1970年の大阪万博なんです。これは、その際につくられ今も彼の地に現存する「太陽の塔」についてのドキュメンタリーです。

 

高度経済成長期に開催された大阪万博、そのテーマは「人類の進歩と調和」でした。3歳だった私の記憶にも、未来的な様々なパビリオンや、広場にあった大きなロボットの姿が鮮やかに焼き付いていますね。

 

その中で当時から異彩を放ったこの岡本太郎作の巨大な塔というか像というか、まさに異形のシロモノ。本作は当時の関係者や岡本太郎の研究者、多くの分野の学者や批評家、表現者たちへの取材で構成された作品でした。

 

私は建築屋で、当時この一大事業に丹下健三を筆頭として黒川紀章や磯崎新など錚々たる建築家たちが参画していたことを知っています。そこに岡本太郎なる表現者が抜擢されたその意外性には以前から興味があったんです。

 

本作は、1章「万博」2章「創造」において当時を振り返ったいわば「プロジェクト秘話」のような始まり方。そもそも前衛芸術家である太郎がいわば最大規模の国家権力の仕事をすることの葛藤、そしてそこからの「反逆」。

 

つまり、「人類は全然進歩していないし調和なんかしていない」という事実を敢えて前面に打ち出すこと。その己の中心から迸るメッセージを具現化したものこそあの太陽の塔であった、というのです。

 

3章「太郎」4章「起源」では岡本太郎の生い立ちと経歴、そしてパリから日本に戻ってからの「縄文」との出会いと、岡本太郎が歩んできた道筋が描かれます。日本に遺る「縄文」たるアイヌやウチナーとの出会いも。

 

そして5章「支配」6章「神話」へ進み、「自発的隷従」というという言葉をキーワードに太郎が感じた近代・現代社会への違和感、そして現代社会を語るに避けて通れない「人工太陽」である「核」の問題が見えてくる。

 

世界に一つしかない「被爆国」が、それを乗り越えて迎えた高度経済成長。しかし広島と長崎を焦土と化したそのチカラを、被爆者たる我々が別の形で取り入れているという、その矛盾。進歩や調和とは程遠い、その矛盾。

 

1970年の万博当時の太陽の塔周りの展示内容も、そういうことを表現していたのだと語られていました。太陽の塔の背面にある「黒い太陽」は、人類がつくってしまった忌まわしき核という太陽のことなのですね。

 

そして太陽の塔内部の展示は太古から続く生命の営みを表現したものでした。7章「共鳴」8章「曼荼羅」では、そこから民俗学者・南方熊楠へ、そしてチベット仏教の生命観・宇宙観を示す曼荼羅へとつながっていきます。

 

最終章は「贈与」というのですが、もうやめておきましょう。

 

はたして太陽の塔とはなんだったのか、何故あの塔だけが現在まで遺されているのか。なぜ我々日本人は「過ちは繰り返しませぬ」と碑に刻んだのにも関わらず、またも3.11という悲劇を生んでしまったのか。

 

残念ながら万博から50年経っても、人類は「進歩と調和」とは程遠い場所にあって、それに警鐘を鳴らし続けるべくあの塔は聳え立つ。大阪人の見知ったあの塔の大きな意味をお前も改めて問い直せ、そう言われた映画でした。

 

via やまぐち空間計画
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