『不東庵日常』   細川護熙 著   小学館

 

このところあまり本を読む時間を確保できておりませんでしたが、この一冊は休みのたびに家で少しずつ読み進めてきたものです。皆さんご存知のこの著者は、元内閣総理大臣にして現在は陶芸家、1938年生まれの御年82歳。

 

還暦を機に政界を引退し、晴耕雨読の日々を送るべく神奈川は湯河原に拠点を移し、そこを「閑居」として暮らしてこられた著者。本書の前半はそこへと至る道筋とそこでの活動について綴られたものです。

 

「閑居」という言葉に長年の憧れがあったと書かれていますが、この言葉の意味を引くと「閑静なすまい」という意味の他に「世事から身を引いて、のんびりと暮らすこと」とあります。なるほど、元総理の言葉だけに含蓄に富むものがありますね。

 

そして本書の前半章はそこで営まれる暮らしぶりを描いたもので、題して「晴耕雨陶」。61歳で陶芸の道へ入り、本人曰くの「並でない没頭癖」の結果、今や玄人跣の陶芸家なのです。私が好む陶磁器のヤフオクにも時折登場されますよ。

 

焼きもの修行の話も面白く、また日本の伝統的陶磁器について綴られた文章も器好きの私には強く響くものでした。またタイトルにある「不東庵」の陶芸工房づくり、「一夜亭」という茶室づくりには藤森照信氏が登場、まさに器のような手づくりの話も大いに楽しい。

 

「不東」という言葉についても始めて知りました。あの玄奘三蔵が天竺へ発つにあたって示した「仏法を極めることなかりせば再び東方の祖国の地をふまず」という決意から出来た言葉だそうです。「不退転の覚悟」と同じ意味なんですね。

 

また、元総理という経歴もさることながら、著者は「細川家」というまさに折り紙つきの名家の主でもあります。「麒麟がくる」にも登場する細川藤孝(幽斎)が18代前のご先祖、その息子細川忠興(三斎)が肥前細川家の初代で代々お殿様、明治以降は細川侯爵です。

 

思うに、そうした家柄と経歴が著者にもたらしたモノや人との縁というのは誰もが得られるものではないはず。それらを存分に心身の滋養とされたところからこのような執筆、あるいは上記の陶芸といった表現が滲み出てくるのでしょう。

 

そして本書の後半は「残生百冊」と題され、古典を中心とした書物についてのエッセイとなっていました。論語や老荘、方丈記、良寛に芭蕉などなど、こうした古典を若い頃から好んで読み己の指針としていたという話も、著者の幅広い教養を伺わせます。

 

自然に親しみ、畑を耕し、川釣りに遊び、器を焼き、本を読み、ときに筆を執る。正直申し上げて私もかなり憧れてしまいますが、実際にはそうそう簡単ではない。それは経済的という意味ではなく、そうした生き方をするには人間としての強い「芯」が要ると思うんです。

 

そんな強固な芯棒のある生き方が著者の経歴をつくったとも思えますし、先述の没頭癖もそうした心の一種の表れでは、とも感じました。元々新聞記者であった人でもあって文章も達者、センスも大いに感じますが、何よりその「芯」の大切さを教えられる読書となりました。

 

via やまぐち空間計画
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