緊急事態宣言や休業要請が解除されてからも、私はまだ在宅勤務メインでやっています。事務所に行く回数は増えていっていますが、単なるPC作業だけなら家でも事務所でも同じですし、だんだんと暑くなってきた昨今は外出時にマスクをするのが苦痛というのもあったりしますね。

 

さて今日は器のはなし。私は専らヤフオクの中を渉猟し、自分好みでなおかつ手が届くものに入札して、うまく落札できた場合にのみ入手しているんですが、この趣味を始めて1年半、当初から狙っていた類のモノがようやく手元にやってきてくれました。

 

それが写真のもの、黒織部の茶碗ですね。美濃焼のひとつである「織部焼」は、その歪(いびつ)なかたちと抽象化した絵付が特徴で、大部分は織部釉とも言われるオリーブ色の釉薬で彩られています。でも中には黒いモノもあって、私は黒織部が好きなんです。なんといっても、お薄の色が映えるのが好ましい。

 

 

今回ゲットしたこの器、共箱があって時代や作者は今後調べていくつもり。黒い釉薬がまるでコールタールのようにたっぷりと掛けられ、絵付や形のひずみ具合は大人しい方でしょう。中にはまるで履物のような歪みから「沓茶碗(くつぢゃわん)」と呼ばれる器もあるほどですから。

 

織部焼を陶工たちに指導した人物とされているのが、大名茶人・古田織部です。信長・秀吉・家康に仕え、千利休の後継者として茶頭をつとめた人。私も大いに興味があって、いくつも関連書籍を読みましたし、織部が主人公の漫画「へうげもの」も全巻もっています。

 

そんな私が今回はじめて黒織部の茶碗を手にし、それで実際にお抹茶を嗜んでみて、やはり改めて色々と想いをいたすことになりました。彼は如何にして、こういう一風変わった造形をつくりあげたのだろうか?

 

一般的に言われるのは以下のような話。もともと茶の湯では唐物の道具を最上としていたが、千利休が長次郎という陶工の手を使って「利休好み」の楽茶碗でいわば「なぐりこみ」をかけ、価値観の転換を起こした。そしてその後を継いだ織部もまた「ひょうげ」という別の価値観をもってそれに倣った、と。

 

その後また小堀遠州が「綺麗さび」という別の価値観で茶頭の後継者となります。その流れは「変革」「改革」というのとはまた違う気がしますね、その価値観のことを「好み」と言いますが、一期一会とされる茶席を己の好みで統一する、という点ではずっと一貫しているわけですから。

 

そうした思想的な部分とは別に、織部の茶碗を自分でいじくってみて私が感じたのは、織部が歪んだ器へ走ったのは、やはりこの「陶土」という素材の別の可能性を引き出す意味もあったのでは、ということでした。言い方は悪いですが、土なんやから歪めたまま焼いても面白いんとちゃう?ということ。

 

私は建築設計を生業にしていて、木造がそのメインです。そして木造では、檜や杉などのまっすぐな針葉樹から取れるまっすぐな「材木」という素材が、タテヨコで出来た日本建築のかたちを成立させていますね。

 

また、私が尊敬する建築家であるルイス・カーンはこう言いました。「煉瓦はアーチになりたがっている」と。煉瓦を用いた組積造では、開口上部を曲線とし上下左右への圧縮力で形状を保つ「アーチ」というかたちが最も理に適い即ち最も美しいのだ、という意味の言葉です。

 

木を材料にした場合でも、薄くスライスした合板を何枚も重ねてそれを自由な形に成形する「成型合板」などは、曲面をもった椅子などに多用されています。これは柱や梁とはまた別の木材という素材の可能性だと言えるでしょう。このように、素材の中には色んなかたちが埋まっている。

 

織部は、好きに成形できる土という素材に、長次郎が手びねりで表したかたちとはまた違う、もっと自由な、もっとバサラな面白味を見出したのではないでしょうか。そしてそれを割らずに上手く焼くための窯の在り方などの技術革新をもってその面白味を実現した、私にはそんな風に感じられたのでした。

 

まあ恥ずかしいほど単純な話で、既に論考されていることだろうと思います。でも、ずっと持ちたかった歪んだ黒織部の茶碗を実際に撫で回し、お薄を飲んでみて、なんとなく頭だけでない自分の肌感覚としても納得できたんですね。木を扱ってきた経験上、こういう触覚からの知見の大事さはよくわかっているんです。

 

via やまぐち空間計画
Your own website,
Ameba Ownd