軍艦島の島姿。
この島姿が、軍艦「土佐」に似ていたことから、端島は軍艦島と呼ばれるようになったらしい。


こちらは島の南部。大正時代に建てられた、日本初の鉄筋コンクリート造のアパート「30号棟」。
もう100年くらいここに立っていることになる。
長い廊下や階段は子どもたちの遊び場だった。
隣は31号棟。
ここには郵便局が入っており、裏には市場、公民館、映画館、パチンコ屋が並んでいたという。
住民は幹部以外は共同風呂で、共同浴場が島に3箇所あった。そのうちの1つがこの31号棟にあったらしい。

島を西から見たところ。
中央の、木造が崩れているところには、お寺があったらしい。
島の北西部。アパートが立ち並んでいる。
棟は渡り廊下でつながっていて、地面に下りずに行き来できた。
海が時化ているときは波をかぶっていたので「潮降り街」と呼ばれていたあたり。
アパートの屋上に神社があった。
もっと大きかったみたいだが、今は祠だけがぽつんと残っている。
北から見た端島小中学校。
島民9,000人の時代に、児童が1,000人もいた。
屋根が崩れているのは、台風で支柱が折れたかららしい。
一番北にあるのは病院。隣接する白い建物は隔離病棟。
この島の人口密度でもし疫病が流行ったら、手がつけられなかったろうなぁ。
島内で暮らしが完結する端島だが、火葬場と墓場だけは土地が足りず、隣の島に作ったとのこと。

私はここに住んだことはもちろん無いけど、なにか、生活の息づかいみたいなものが伝わる気がした。