柳川と江戸時代大震災の意外な共通点 | やもけんのブログ

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柳川の物語を集めて編んでいます。

2011年3月11日の大震災後
たまに扱われる知られざる偉大な人物がいます。

濱口悟陵(ウィキペディアより)

トモは個人的に気になり
伝記を一冊読みました。

震災後にどのように扱われたのかというと

幕末の安政時代
現在の和歌山県で大地震が起きました。
その後大津波が起き、各地で多くの死者が出ましたが、
海沿いにありながら9割の人が助かった村がありました。
広村(現在の広川町)でした。

この村で醬油醸造業を営む悟陵は、
大地震の時に「大砲のような音がした」と語っています。
悟陵は、一万冊ほどの本を所有しており
その中の一冊に当時から1000年近く前の大津波の資料に
「地震の時、大砲のような音がして、その後大津波が起きた」
という旨の文章を覚えていました。

そのため、悟陵はすぐに行動に移します。
住民を高台に移動するように声をかけます。
また、夜だったため皆を高台へ誘導する為に
道程の稲藁に火を放ったそうです。

この辺は「稲むらの火」という話で
戦前の教科書などには掲載されていました。

トモが興味深いのは、
一商人に何故そこまで指導力があったのか
そして、震災後の悟陵の行動です。

幕末、黒船が数々来襲する中
政治不安定に、、、、
これでは、幕府に頼れないと塾のようなものを作り
若者を中心に青年団のようなものを作ったそうです。
高台誘導時はその青年団を中心に活動したそうです。

震災後は、日本で初めての津波除けの堤防を作る為に
莫大な資産を寄付します。
約5,000両。(100両が3,000万円)
凄いのは金額ではなく、その労働者として採用したのが
地元住民。
小さい子から大人まで、津波で職のなかった住民を雇用したそうです。
悟陵のもうひとつの狙いは、住民自治のため。
みんなで苦労して堤防を作ることで
共同体意識を高める事が目的だったようです。

柳川との共通点はここだなと思いました。
柳川は、安政時代よりも200年前。
干拓地を広げる為に、また矢部川の氾濫からの被害を最小限にする為に
住民一帯となって事業をしています。
指導者が、一商人か時の為政者かの違いはあれど
住民同士の熱いつながりは今だに(潜在的にでも)残っているんじゃないかと思います。

今の柳川にはたくさんのグループ・団体がありますが、
それが一致団結と言わないまでも少しだけでも連携するだけで、
もの過ぎパワーが生まれてくるような気がします。
行政に頼りっぱなしではない、住民自治を今一度見直してみてはどうでしょう。

住民自治って言うと難しいですが、
地元行政区単位で青年団を作ってみたりなどなど
ほんとに自分の近いところから、、、、

そんな事を
濱口梧陵を調べていて思いました。


トモ