生まれてきてくれてありがとう! | 助産師さんの観察ブログ

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アメブロプロフェッショナルブロガーだった12人産んだ助産師HISAKOさんを観察しています。15人大家族ではありません。なぜかアメブロは閉鎖、ばぶばぶでもブログは更新されなくなったので、主に過去ブログからコピペ疑惑を掘り出しています。

12人産んだ助産師HISAKOさん。


夫婦エステ韓国旅の間、留守を守ってくれた長女さんに「生まれてきてくれてありがとう!」と。



「生まれてきてくれてありがとう!」

助産師さんと長女さん母娘お二人の関係性、長女さんががそれでいいならそれでいいことなんだけど、産んだ子の数を日銭に換えているYouTuberの人たちなのでツッコミます。


「生まれてきてくれてありがとう!」

この想いは産んだ12人みんなにも向けられているんでしょうか。


夫婦の旅を支えているのは間違いなく独立した第2子さん。その時間を受け入れたお孫さんと、現在同居のお子さんたちたぶん6人です。


「お留守番ありがとう!」なら第2子さん一人に向けられたことも理解できる。行為に対する感謝です。

だけど「生まれてきてくれて」は大きすぎる。


行為への対価として出てくる言葉なんだろうか。

こどもたちひとりひとり、その関係性で、「生まれてきてくれてありがとう!」を言えたり言えなかったりするんだろうか、と。


12人産んだ助産師さんは、10人目を産んで離婚し子どもたちが分断されたのち、

母親と生活しながらも心身の乱れに苦しんだ思春期の子に「うまなければよかった」と思ってしまったことを、世界に向け吐露しています。


いま苦しい養育者のみなさん。

「うまなければよかった」と思ってしまう、

思ってしまった自分を責める、

こころがそんな場所にあるときには、


なにもかもを乗り越えて「生まれてきてくれてありがとう!」と言えるに至った母娘の姿は、救いになっている。んでしょう。


だけどその救いのために、

12人の子どもたちと、その成長を慈しみ支える人たちのこころ、積み重ねてきた時間の全てが、ただひとりとの様子をサンプルに「まるくおさまった物語」として消費されている。


あの母娘の姿に癒された勇気をもらったと感じたあとには。

自分は何かを踏まされていないか。

よくよくみてほしいです。