12人産んだ助産師HISAKOさん、MONEY VOICEさんから 午堂登紀雄さん書下ろし記事のまねブログです。
質、量ともに、とてもまねです。
2022-06-03
関連動画
元記事
MONEY VOICE 午堂登紀雄さん
2021-07-06
青 元記事
ウィキペディアには、「生まれることおよび子を持つことを否定的に価値づけ、子を持つことを道徳的に悪いと判断する倫理的見解である」と書かれていました。
赤 12人産んだ助産師HISAKOさん
生まれること、産むことを
〝よくないこと〟
と否定的にとらえる倫理的見解で
ママになることを渋っておられる
女性にときどき出会います。
「生きていれば苦痛を感じる。逆に言えば、生まれてこなければ苦痛を感じることもない。
「絶望を味わうのは
この世に生まれてきたからで
いっそのこと、最初から生まれてこなければ
苦痛を感じず済むんじゃないか」
だとしたら全ての人にとって生まれてこないのが一番いいに決まっている。つまり全ての人間は生まれてこない方が良い。だから全ての人間は子どもを産むべきではない」
「コロナ、貧困、環境破壊、戦争・・・
さまざまな苦痛をもたらすこのご時世に
まだ生まれてきていない
子どもの気持ちを考えたら
産むべきじゃない気がする」
「人生には苦しいこともあるが、楽しいことや喜びもあるじゃないか”という反論があるかもしれないが、楽しいことがたくさんあったとしても、苦しみが一つでもあったら意味がない。楽しみが何かの苦しみによって一瞬にして無意味になったという経験は誰にでもあると思う。
人生には
嬉しいことや楽しいこともあるけど、
しんどいこともたくさんありますよね。
「環境破壊や核戦争のような不幸を伴う人類滅亡よりも、子を出産しないで人口減少による人類滅亡ならそれほど苦痛を伴わないし、そのようにして苦痛の犠牲者が存在しない世界になっていくのは、むしろ良いことではないか」
「コロナ、貧困、環境破壊、戦争・・・
さまざまな苦痛をもたらすこのご時世に
「出産することは、親のエゴであり
人生の苦しみを味わう犠牲者を出す
無責任な行動だと思う」
「幸福な人生を送る人がたくさんいる一方、地球のどこかに必ず不幸な人生を送る人が少なからずいるはずで、こんなにひどい絶望を味わっているのは生まれてきたせいだ。
この世に生まれてきたからで
いっそのこと、最初から生まれてこなければ
苦痛を感じず済むんじゃないか」
「出産することは、親のエゴであり
人生の苦しみを味わう犠牲者を出す
無責任な行動だと思う」
「“子どもが欲しい”というのは、根本には“親のエゴ”がある。
「出産することは、親のエゴであり
そして、まだ生まれてきてない子どもの視点に立てば、不幸になる可能性をどこまで考えてるの? と問いたい。
まだ生まれてきていない
子どもの気持ちを考えたら
“幸せにしてあげる”と親が思っていたとしても、病気に罹ったり、不慮の事故に遭ったりする可能性もある。
でも、ママがいくら
「子どもを幸せにしたい」と思っていても
病気や不慮の事故、
今のコロナ禍でも、不幸に巻き込まれる可能性が実際にある。
「コロナ、貧困、環境破壊、戦争・・・
「出産を否定し、まだ生まれてきていない人たちが不幸になる可能性がゼロになることの方がメリットは大きい」
まだ生まれてきていない
子どもの気持ちを考えたら
産むべきじゃない気がする」
「苦しみや苦痛がない世界が望ましい」ということですが、そもそも客観的な「苦しみ」というものは存在せず、
そもそも客観的な「苦しみ」なんてものは
存在しないと思うんですよね。
※まねだけど「思うんですよね」
本人がどう受け止めるかの要素が非常に大きいため、人類全体に拡大解釈するのは論理的に無理があります。
起こってくるさまざまなできごとを
本人がをどのように受け止めるか、
という個人的な感覚的要素が大きく
たとえば部活の練習を「苦しい」と感じる人もいれば、「楽しい」「充実してる」「強くなるためだ」と感じる人もいるとおり、「苦しみ」だと感じる「その人の問題」であって、「人類の問題ではない」のです。
例えば
赤ちゃんの夜泣きを「苦しい」
と感じるママもいれば
「眠いけど充実した毎日」と
感じるママもいます。
そもそも大人になれば、仕事も住む場所も人間関係も選べます。だから苦しいとかイヤだと思えば自分で(ある程度は)変えることができます。
大人になれば
仕事も住む場所も人間関係も
ある程度、自分で選択することが
できるはず。
「そんなに簡単ではない」という人は、檻の鍵は空いているのに、鍵がかかっていると思い込んで檻の中に居るようなものです。
「そんな簡単なことじゃないよ!」
って言われるかもしれないけど。
カゴの鍵は開いていて本当は自由なのに
あえて外に出ずにカゴの中で
文句だけ言ってる鳥みたいに感じられます。
※まねだけど「感じられます」
これは「自分も頑張っているのに報われない」と悲観する人の思考パターンに似ていて、「環境は誰かから与えられるものだ。その中で努力して報われないということは、その環境を作った誰かが悪いんだ」という環境に依存した発想です。
『環境は誰かから与えられるもの。
努力しても報われないのは
その環境を作った誰かが悪いんだ!』
傷つきやすく打たれ弱い
『環境』に依存した
現実逃避思考パターンは
でも実際には、全部自分で決められること。
わたしは、
自分の人生は自分で決められると
思っています。
また、自分がひとつひとつ物事を達成していくことで、自分に自信を持てるようになり、自己信頼感や自尊心を獲得していくものです。
ひとつひとつ鍛えられ
乗り越えていくことで
少しずつ自分に自信を持てるようになりました。
そういう鍛えられた自尊心・自己肯定感があれば、ちょっとやそっとの苦しい出来事があっても、いちいち悲観したり絶望したりなどしなくなります。
鍛えられた自尊心があれば
ちょっとやそっとの苦しみがあっても
いちいち悲観したり絶望したり
しなくなります。
恋愛でも、傷つき苦しんだからこそ次の恋愛ではもっとうまくできる、ということもあるとおり、自分がバージョンアップするための苦しみというのもあるわけです。
8年経った今は
自分がバージョンアップするための苦しみだったと
ポジティブにとらえることが
できるようにもなりました。
私も公認会計士の受験勉強はしんどかったですし、外資コンサルでのハードな経験もありましたが、だからいまの自分があると思っています。
あの経験があったから
今のわたしの人生、
今の子どもたちの人生があるんです!
つまり「ひとつでも苦しいことがあるのはダメだ」というのは、逆境を乗り越えた経験、努力して成し遂げたという経験が乏しく、それによって自分が成長したという実感を得られていない人なのかもしれません。
逆境を乗り越える経験、
努力して成し遂げる経験によって
成長したという実感を得ることも
あるかもしれないのに!
そして私たち人間は、それら喜びや悲しみ、嫉妬や劣等感、達成感や感動など、ネガティブにしろポジティブにしろ、様々な感情を体験するなかで、重層的な「自分」を形成していきます。
わたしたちは、
喜びや悲しみ、嫉妬、劣等感、
達成感、感動・・・
さまざまな感情を経験するなかで
しかし、傷つき悲しみ悩むといった感情を経験しないと、その方面では非常にもろく、偏ったメンタル、弱点を残したまま大人になります。
傷ついたり、悲しんだりなどの
ネガティブな感情の経験を
避けて通っていたら
心の免疫はいつまで経っても強化されず
弱点を残したまま
偏ったメンタルで生きづらさを抱えることに
直結していくでしょう。
一方、これら人間が抱くあらゆる感情を経験し、それを適切に処理し乗り越えていくと、精神は成熟していきます。その積み重ねによって、少々のことでは動じない強い心が養われます。
人間が抱くあらゆる感情を経験し、
それを適切に処理し乗り越えていく
その積み重ねがあるからです。
逆境や絶望を感じる場面においても、安易にパニックになったり挫折したり自暴自棄になったりすることなく、冷静に対処できるようになります。
逆境や絶望を感じる場面でも
すぐにパニックになったり挫折したり
自暴自棄になったりすることなく、
冷静に対処できるようになります。
「人間のあらゆる感情は意味があるから起こっている」と述べたことと同じく、「地上に人間が存在するのも意味があるから」なのでしょう。
つまり、人間のあらゆる感情は
意味があるから起こっていて、
この世に新しい生命が誕生することも
意味があるからだと思うのです。
※まねだけど「思うのです」
必要がなければ人類など生まれてこなかったはずです。
必要がなければ
人類など生まれてこなかったはず。
人類が文明を築き、社会活動が複雑化し、その中でいろいろな立場の人が生まれるのは必然であり、「苦しみから逃れる」というただ1点のために出生を否定するのは、かなり短絡的な発想のような気がします。
複雑な社会活動の中で
いろいろな立場の人が生まれるのは必然です。
だから
「苦しみから逃げる」という理由で
妊娠出産を否定するのは、
短絡的な発想のような気がします。
※まねだけど「気がします」
多くの人は、「苦しみを感じるくらいなら生まれない方がいい」とは感じないと思います。
わたしは
「苦しみを感じるくらいなら生まれない方がいい」
とは思いません。
※まねだけど「思いません」
なぜなら、苦しいことだけで生が否定されるほど、人間の人生は浅くないし単純でもないことを本能的に悟っているからです。
苦しいことだけで生命の誕生が否定されるほど、
わたしたちの人生は浅くないし
単純でもないことを知っています。
※まねだけど「知っています」
「苦しみから逃れる」というメリットは、「人生を謳歌する」という巨大なメリットの前にはかすんでしまうのですから。
産まないことで
「苦しみから逃げる」のは
「人生を思いっきり楽しむ」という
すばらしいミッションの前には
ぼやけてしまうんじゃないかと
思っています。
※まねだけど「思っています」
しかし私個人は、いろんな問題を乗り越えていくことで自分が成長する実感が得られるし、(精神的な)痛みを感じるからこそ、生きている感覚があります。
逆境を乗り越える経験、
努力して成し遂げる経験によって
成長したという実感を得ることも
あるかもしれないのに!
間違っている理由その6:子どもが欲しいのは親のエゴだが、産まないのもまたエゴである
「産みたい」のがエゴならば
「産みたくない」のだって親のエゴです。
「子どもが欲しいのは親のエゴだ」は確かにそのとおりですが、とはいえ、そもそも生物としての本能でもあり、これを否定すればすべての生物の存在を否定するということになるでしょう。
『子どもがほしいというのは
根本に親のエゴがある』
それはその通りだと思います。
とはいえ、
いのちをつなぐ生命活動は
生きものとしての本能でもあり、
これを否定すればすべての生物の存在を
否定するということになるでしょう。
たとえば学校でいじめられている最中は、そのピンポイントを見れば不幸かもしれません。
ピンポイントでみれば
生き地獄ってこういうことを言うんだ
と思う苦しさでした。
すると、その人の人生にとって、その不幸(だと当時感じた出来事)は「その人の幸福のための必要悪だった」「その人が幸福を得るために克服すべき試練だった」と言えなくもありません。
当時、不幸だと感じたできごとは
幸せのために必要なことでした。
その幸せを得るために克服すべき試練だった
と言えなくもありません。
もうひとつ、私は子が「自分の人生を自ら切り開くという醍醐味」を、親のエゴで奪いたくないと考えています。
カゴは開いているんです!
勇気を出してそこから出て、
羽ばたいてみたら
何もないゼロから切り開き
何かを成し遂げ人生を楽しむ醍醐味を
子どもは味わうかもしれないのに!
同様に「産まない」のも親のエゴなわけですが、同じエゴなら私は産む方を選びたいです(あ、私は男なので産めませんから「子を持つ」でしょうか)。
「産みたい」のがエゴならば
「産みたくない」のだって親のエゴです。
なぜなら、資産も人脈も能力も何もないゼロから切り開き、何かを成し遂げるという醍醐味は、生きていればこそ味わえるわけで、これは本当に素晴らしいことだと思っています(私自身が無職・貧困から成り上がっただけに、おそらく生存者バイアスがあるとは思います)。
勇気を出してそこから出て、
羽ばたいてみたら
何もないゼロから切り開き
何かを成し遂げ人生を楽しむ醍醐味を
子どもは味わうかもしれないのに!
何もないゼロから言葉を紡ぎだしてこそ、誰かに何かが伝わる醍醐味を味わえるのに!


